今年も「空心菜」が食卓に出た。ベランダのプランターは、家内の趣味の花が
一杯で空心菜を植えるスペースなど全く無いが、幸いな事に最近では百姓市場
などで簡単に手に入るようになって来た。やはりこの季節の空心菜はよく合う。
台所からニンニクを炒める香りがし始めた頃から既に食欲満開だ。特徴のある
ニオイは不思議なモノで、その香りと共に記憶をタイムスリップさせる効果を
持っている。オヤジの気分はすぐに昭和58年の台湾へと飛んだ。東南アジア
の国々は、オヤジが行き始めた頃は何処もレートが有利で、日本円が値打ちに
換金出来た。特に台湾の場合「金樓・銀樓」と言う看板を掲げている宝石店で
換金すると更に色がついて得をした。但しこれはヤミで、見つかるとヤバいが
食事代ぐらいすぐに変わって来るのでよく利用した。当時は、物価にもかなり
差があり、贅沢品こそ際立った差は無かったものの、食料品類は随分安かった。
お惣菜は買わなかったが、菓子とフルーツ類は良く買った。中でも驚いたのは
歴史同好会で行った、初めてのタイだった。屋台でスーパーの大きな袋2つに
片方はマンゴー、もう片方にはマンゴスティンを山の様に買った。たくさんに
買ったオマケにと貰ったモンキーバナナも一緒に抱えてホテルに帰った。皆で
食べるには結構な量があり、割り勘にしようと言い出した者がいたほどである。
当然そんな感覚になるだろうが、オヤジが払ったのは日本円で600円だった。
かつては進駐軍が、占領下の日本で同じような思いをしたのだろうが、そりゃ
1$が今より値打ちのある360円だったのだから当然のことである。最近は
段々とこんな思いが出来る国は少なくなっただろう。中国も行き始めた当初と
終わりの頃では随分違って来た。まだまだ優位に立てる国は多々あるようにも
思うが、コロナウィルスが通行手形を発給してくれない間はどうしようもない。