我があゆみ歴記15
大学生活の後半、親代わりであるJA2EQ加藤OMから私はアルバイトの紹介を受けた。
愛知電機の下請けの会社で、配電盤・分電盤・自動制御盤などの組み立てと配線の仕事
であったが、当時としては破格のアルバイト料を頂いた上に、様々な電気関係の技術を身
に着ける事が出来た。 芸は身を助けると言われるが、この時に修得した技術が、このあと
十数年先にベンチャービジネスに失敗した私の生活を助ける事になろうとは、この時は知
るよしも無かったのである。
私の場合、小遣い銭は何に使ったか判らなくなる事は少なく、いつも形のある何かに代わ
る事が多い。 当然ながら、このアルバイト代では、当時では最高級の無線機を買った。
この機械こそ、つい先日ご臨終を迎えた八重洲無線のFTDX-401トランシーバである。
真空管式のこの機械を、私がいかに大切に扱って来たかがお判り頂ける事だろう。!
この機械では海外の多くの局とも交信する事が出来、まさに私の愛機であった。
大学生活終わりの年を迎えた。 前の年の8月に地元徳島の企業を受験し、既に合格して
いたが正月早々、2月の頭から約2ヶ月の研修が行われる旨の案内が届いた。
しかし、この時はまだ卒業式はもちろん卒業試験も終わっておらず、どうなる事かと不安を
抱いたまま、私は徳島に戻った。(つづく)
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