私の無線室

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2010年4月10日 (土)

我があゆみ歴記14

ここ数週間は所用で徳島と行き来していたので、また掲載の間隔が少し開いてしまった。

今年は徳島と大阪の2ヶ所の桜の変化を長く見る事が出来て、何か得をした感じだ。

本日から再び私の歩みについて、書き進めて行きたい。

Sakura2010_01 Sakura2010_02  

勉強1分(ぶ)にハム9分(ぶ)、当時私はクラブの仲間からそう言われていた。

正直、勉強そっち除けでクラブの行事や活動にはほとんど参加をしていたからである。

私たちの時代の教育は「若い者は体を動かせ」と教えられていたので、特に力仕事には

積極的に参加した。 クラブ員のタワー建設やアンテナの設置、無線連盟の支部の行事

の手伝いなど、数え上げればキリがない。

当時、春日井アマチュア無線クラブには年中行事が幾つかあった。

その中で最も大々的に行われたのが、夏の敦賀の海水浴キャンプであった。

クラブ員だけでなく家族も参加できるので毎年楽しみにしている人も多かった様である。

私が初めて参加した昭和45年頃は、敦賀の海岸にテントを20張ぐらい並べて、食事は

すべて海岸で自炊して過ごす様なキャンプであったが、一度戻り梅雨の鉄砲水で、テント

が全部流される様な事態に遭い、少しの期間は民宿にお世話になった。

その後偶然にも敦賀の海岸近くでアマチュア無線を趣味とする住職が居た事から、その

お寺で寝泊まりをさせて頂く様になり、それからと言うモノ随分長い間お世話になった。

古寺だったが布団・食器・炊事道具・風呂まで揃っていて自炊キャンプには最適だった。

このキャンプには途中から私の家内も加わり、更に上の娘が高校生になった頃まで毎年

家族で参加させて貰っていたが、お寺が建て替えられ、気兼ね無く利用出来なくなったの

を契機に残念ながら中止となってしまった。 しかし本当に長く続いたモノだ。

Tsuruga01Tsuruga02Tsuruga03   

クラブのメンバーは自宅では固定用機器で、車で移動中は車載用の無線機で必ず声を

出し、連絡を取り合って行動する様な習慣になっていた。 私も最初は原付に搭載をして

春日井の街を走った。 この原付は徳島から13時間半掛けて自分で乗って来たモノだが

ナンバープレートが「徳島市」であった事から、当時は頻繁に愛知県警のパトカーに停車

命令を受け、職務質問をされた記憶がある。

しかし、パンクなどのアクシデントの際は、一声出せば近くの誰かが駆けつけてもくれた。

この様に、親兄弟にも似た方々に囲まれて暮らす私の話しを聞き、一人息子を遠隔地に

送り出した実家の両親は、正直とても安心だったそうである。 (つづく)

 

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