私の無線室

  • 28. AT-230
    無線室改装しました。

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2010年8月

2010年8月31日 (火)

中学校の同窓会

8月も終わりを迎えた。 同時に学童たちの夏休みも終わる。

例年なら少しは秋の気配も感じられる様になっているハズであるが、今年は盆が過ぎて

から残暑がことのほか厳しくて、四国ではまだ連日30℃を超える猛暑が続いている。

そんな中、先日中学校の同窓会が行われた。

中学校の同窓会は4年に1回、オリンピックの年に行われているが、今年は還暦の年に

あたる事から記念の集いとして開催された。

ちょうど私も42年ぶりに故郷に帰って来た年の同窓会でもあり、出席する事にした。

中学校を卒業して以来45年ぶりに再会した懐かしい友も多かった。

顔を見てすぐに名前が思い出される友もいたが、「君は誰だったかな?」と言ったり言わ

れたりする事もあった。 まったく年の重ね方は様々であり、当時と全く変わってない者も

いれば、私の様に頭が薄くなったり、白髪になったりで、大きく変貌している者もいた。

しかし不思議なモノで会が進むにつれ、いつしかみんな45年前にタイムスリップし、当時

の事を思い出しながら和やかに会話が弾んだ。 これが同窓生と言う関係なのだろう!

私は別にして、同窓生には当時から勉強が出来た者が多く、現在医者になっている者も

意外と多い。 年齢的にも経験豊富で、今後は友人に体の相談が出来るかも知れない。

今回の同窓会を切っ掛けに、私にもまた一緒に遊べる仲間が何人か出来た。

故郷とは、また友とは本当に良きモノである。

Dousoukai2010

2010年8月16日 (月)

祭りのあと

昨日(8月15日)で徳島市の阿波踊りも終わった。

踊りが終わると、この南国の小さな街は急に寂しくなる。

よく「祭りの後」、と言われるが、まさにそれである。

まだ気温は30度を超える猛暑の中、肌に感じる風は何となく秋を感じさせる様になる。

お盆に帰省していた家族や親戚、踊りの観光客などが一気にこの地を離れ街が急に閑散

とし、更に踊りの桟敷などが撤去される風景が、その感じに拍車を掛ける様である。

大学の頃は、お盆が終わると同時に夏休みも残り少なく、名古屋に帰る準備が始まる。

自分の部屋を片づけて掃除をし、無線機を箱にしまって、庭のアンテナを下ろす。

お正月休み迄しばし無線局も閉局だ。 私はこの時期が特に寂しかった記憶がある。

阿波っ子は、毎年の阿波踊りを楽しみにして1年間仕事を頑張ると言う人が結構多い。

全国にも同じ様な気持ちで、地元の祭りを楽しみにしている人がいる。

楽しみに出来る祭りを持っている者は幸せ者だと思う。

今年42年ぶりに故郷に帰ってみて、改めてその事を強く感じた次第である。

今、私も来年の阿波踊りを楽しみに、また1年頑張ろう! と言う気持ちになっている。

2010年の阿波踊りの最後を飾り、阿波踊り振興協会等に所属の有名連、総勢2000人

によるフィナーレの「総踊り」映像をお楽しみ頂きながら、今年はお開きとしたい。 

2010年8月14日 (土)

えっとぶりの阿波踊り

今、徳島の街は熱く燃えている。

8月12日(木)から徳島市の「阿波踊り」が始まったからである。(8月15日迄の4日間)

この時期、お盆休みの帰省者と踊り見物に訪れる観光客で徳島の街は一時的に大都市

並みの混雑となる。 市内に入る主要道路は渋滞し、公共交通機関やホテルなどの予約

関係は全く取れず、キャンセル待ちが続く状況と化す。

従って私も今まではお盆休みには動かず、時期をずらして帰省していた様な次第である。

長い休みは「ニトリの椅子」の上での生活が多かったのはそう言った理由もあったからだ。

今年はえっとぶり(阿波弁で久しぶりの事)に故郷で「阿波踊り」を迎える事が出来た。

正直四国徳島と言えば「鳴門の渦潮」と「阿波踊り」しか無い小さな県であるが、その圧縮

されたエネルギーは、毎年この踊りの期間に一気に大爆発を起こす。

ホテルや旅館に来年の予約をして帰る様なリピーター客が多いのも、このエネルギーが

持つ不思議な魅力からなのかも知れない。

お陰で、地元でありながら県外からの知人に頼まれても宿泊施設などが予約し辛いのは

本当に困ったモノである。

そんな中、阿波踊り初日は家内と散歩がてら、無料桟敷に出掛けてみた。

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久々の迫力に徳島県人の気持ちはドンドン高まり、見る阿呆でいるのが本当に辛い。

そこをグッと我慢し見物を続けた。元フォーリーブスの「おりもまさお」さんが踊っていたり

向かい側の桟敷席で、歌手の尾崎紀世彦さんがお忍び見物していたりするのを見掛ける

のも阿波踊りならではである。 今年も多くの芸能人が連日躍り込んで来ている様だ。

踊り2日目は、大阪から友人がバイクに乗って遊びに来てくれた。

皿鉢料理の店で夕食をして、事前に買っておいた徳島市役所前の有料桟敷に向かった。

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やはり、無料桟敷とはひと味違って快適である。 しかも最前列で見晴らしは最高である。

さすがに躍り込んで来る連も選抜されており、みんな上手で、華麗な踊りに満足した。

途中で友人と桟敷を抜け出して「にわか連」に加わり、両国橋通りの無料桟敷に躍り込ん

で見た。 普段着のままで気楽に誰でも踊る事が出来るのが「にわか連」の良いところだ。

私も、少々脱水症状になり掛けたが、久々に踊る事が出来て、楽しいひとときになった。

こりゃあ~、来年は何処かの連に入れて貰って踊って行かなくては収まらないわ!

どうも忘れかけていた阿波魂に再び火が着いてしまった様である。「Kさん責任取って!」

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2010年8月13日 (金)

お薬っさん参拝

家内と2人で徳島県南部の町、美波町(みなみちょう)と言うところに出掛けた。

昔は海部郡日和佐町(かいふぐんひわさちょう)と呼ばれていたが、いつの間にか美波町

と言う地名に変わってしまった。

ここは今年の3月末まで放送されたNHKの朝の連続ドラマ「ウェルかめ」の舞台となった

処で、徳島市内からだと国道55号線を南下、小松島-阿南を通過して車で1時間少々で

到着する。 室戸岬まで残り80キロほどの距離に位置する小さな港町である。

この町はテレビで知られる様になる以前から四国八十八箇所巡礼寺の第二十三番札所

である「医王山薬王寺」がある場所で有名なところである。

地元では、日和佐のお薬っさんの愛称で親しまれている厄除けで名高いお寺である。

今回徳島に戻った事もあり、今年私は六十歳の本厄でもある事からお参りに訪れた。

山門から入り、厄坂と呼ばれる階段に61枚のお賽銭(1円玉)を、1枚ずつ置いて行きな

がら山を登った。 その後薬師如来をお祀りした本殿で般若心経を唱え最後に瑜祇(ゆぎ)

塔をお参りし、社務所で厄払いのお札を頂いて下山した。

たくさんの汗をかいたが、極めて心地よい汗であった。

その後、ウミガメの産卵で有名な大浜海岸の近くで昼食を食べ、ローカル温泉で汗を流し

たが、久し振りにのんびりした時間が満喫できた一日であった。

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2010年8月 3日 (火)

幻の甲子園

今年も間もなく全国高等学校野球選手権大会が阪神甲子園球場で始まる。

大会期間中に終戦記念日を迎えると言う事もあるが、それだけではなくこの時期が来ると

いつも「平和の有り難さ」と言う事を感じずにはいられない。

以前にもブログで書いた事があるが、この大会が戦争の為、記録上途絶えた時期がある。

朝日新聞の大会記録では昭和16年~昭和20年まで「戦争の為中止」と記されている。

しかし、実際昭和16年の大会は中止になったものの、翌昭和17年は激しさを増す戦争に

対し国民の戦意高揚を目的とし、再び開催されていた事はあまり知られていない。

何故なら、この大会の主催が朝日新聞社から当時の文部省に変更されていたからだ。

従って歴代の大会記録上からは削除されたこの大会は「幻の甲子園」と呼ばれている。

この幻の甲子園で優勝したのが「徳島商業」で、私の父はこの優勝メンバーの1人である。

私は子供の頃から優勝の話しを何度も聞かされたが、私には父の優勝が自慢であった。

当時の優勝投手が、その後私の母親の妹と結婚して、私の叔父であった事も嬉しかった。

その叔父も亡くなり、当時はレフトを守り俊足と言われた父も現在では85歳、今その自慢

であったハズの足が特に衰えを見せて来ているのが残念である。

優勝当時のメンバーも次々と亡くなり、最近とうとう父が最後の1人になったと聞いている。

その父が高校野球を見ながら時々口にする、「今の子は幸せやな~」と、言う言葉がいつ

も重たく感じる。 父も優勝メンバーも更には当時の全国の高校球児達が、この大会の後

バットを銃剣に、ボールを手榴弾に持ち替えて激化する各地の戦場に向かっている。

この事を思うたびに、今あたり前の様に野球に打ち込める世の中を改めて幸せだと感じて

感謝し、若くして戦場に散った戦没者に心から哀悼の意を捧げたいと素直に思える。

世の中の平和ボケしている若者諸君!この事を是非少しでも頭の片隅に置いて欲しい。

今度、この幻の甲子園の特集番組がNHKの総合テレビで放送される事になった。

日時は8月7日(土)午後8時からなので是非ご覧頂きたい。

また、幻の甲子園の対戦記録は下記リンクを参照下さい。

1942年(昭17年) 文部省主催 全国中等学校野球大会 対戦結果

  

2010年8月 1日 (日)

踊り本番を前に

8月に入った。

今、徳島の街は夏真っ盛りである。

連日30度を超える猛暑が続いているが、大阪の様なジメッとした体感ではなく南国特有の

ドライでストロングな「夏」である。 しかしながら川の街だけに夕方になれば水際公園から

の川風が心地よく吹いて、久しく忘れていた自然の涼を感じる事が出来る。

夜になれば街の至る処から鐘と太鼓のお囃子が聞こえて来る。 阿波踊りの練習である。

街は8月12日から4日間行われる阿波踊り本番を前にその練習にも熱が入って来た。

阿波踊りのチームの事を「連」(れん)と呼ぶが、この連には様々な連がある。

阿波踊り振興協会に所属する様な有名連から、企業連や学生連、地域の連などがあって

それぞれの練習風景は早ければ本番2ヶ月以上も前から市内のあちらこちで見掛ける。

私も子供の頃は父親の会社の連に始まり、学生連、企業連と毎年の様に踊って行った。

踊る阿呆に見る阿呆と言うが、今でも見る阿呆は阿波っ子には辛いモノがある。

昔の阿波踊りは街の至る所で自由に踊っていた記憶があるが、最近では桟敷と呼ばれる

市内に何ヶ所か設置される演舞場を中心とした場所でしか踊らなくなってしまった。

いつの間にか阿波踊りも「ショー化」してしまった様で個人的には少し寂しく感じている。

反面、観光客用にお囃子だけを提供し、自由に踊って貰うスポットや浴衣や衣装には関係

なく普段着のままで踊りに加わる事が出来る「にわか連」なども用意されている。

とにかく徳島をあげての一大イベントが間もなく始まろうとしている。

是非一度今年は徳島の夏と阿波踊りを体験しに、お越し頂きたいと願っている。

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