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2010年4月27日 (火)

我があゆみ歴記28

私の転職を誘った福井県鯖江の眼鏡会社は、カーボンフレームのヒットで成功していた。

私に求められた仕事は、カーボンに続く新しい眼鏡用材料の開発だった。

混練機も成型機も導入するので、福井に来て今まで通り樹脂の開発を続けて欲しいとの

誘いであり、ヤリ甲斐のある仕事だけに私の心は大いに動いた。

自分たちが開発した、カーボン複合材料の行く末を見守りたいと言う想いも後押しした。

結局、色々と悩んだ末に転職を決めた私は、昭和62年5月福井に向けて旅立った。

但し、今でもハッキリと言える事は、開発プロジェクトが解散せずに継続していたか、解散

しても大阪工場で引き続き私の仕事があったなら、転職は無かったと言う事である。

しかしながら、その両方を一度に失った私は、初めて次の仕事を自分の意志で選択する

事になった。 勿論、社内で別の部署への異動の話しもあったが出来る事なら好きな仕事

を新天地で続けたい、と言う男の夢とロマンが、そう決断させたのである。

しかしながら、このあたりから既に私の選択の誤算が始まっていた。

色々な方々の応援を背に、福井に到着した私は、そこで信じられない言葉を耳にした。

樹脂の開発はさておき、君には眼鏡枠の組立工場を1つ見て欲しいと言うのである。

この時、私が転職した眼鏡会社は、カーボンフレームのヒット等で儲けた資金を投資して

いくつもの会社を興しており、それぞれの会社の経営者には大手企業等からヘッドハント

した人物を充て、当時では他に類を見ない総合眼鏡会社を目指していた。

そんな中で、私にはグループの1つである組立工場の経営を任せたいと言うのである。

話が全然違うとはこの事で、経営者などと言うモノはそう簡単に出来る仕事では無い。

最初、私は話が違うと断ったが前の会社には既に辞表を出して来ており、私の帰る場所

はもう無かった。 結局私は暗中模索で会社経営と言うモノを始める事になってしまった。

(つづく)

 

 

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