我があゆみ歴記19
私が入社するまで名古屋支店には化学品の専任担当は無く他課の者が兼任していた。
従って最初の頃は課せられたノルマも少なくて、新人の私でも専任で動けば毎月の売上
実績は比較的簡単に達成してしまう事もあった。
そんな時は決まって食品と農業資材を応援する事になったが、これが何とも大変だった。
その頃世間ではそろそろ週休2日の会社が出始めており土曜日の外回りは減っていた。
土曜日はゆっくり内勤かと思いきや、この会社では土曜日には別の仕事が待っていた。
その昔、七変化をして悪人を退治するお姫様役を演じた女優さんが載ったレトルト食品の
ホーロー看板を30枚車に積み、2人1組で何処かに釘打ちして来る、と言う仕事だった。
しかも30枚全部打ち終わるまでは帰社に及ばずと言う厳しい支店長命令があった。
30枚ぐらい簡単と思ったが田舎の隅々に至るまで諸先輩達が毎週土曜日にはこの作業
をしており、もはや打ち付ける場所はそう簡単に見つけられるモノではなかった。
また、許可を貰わなくては勝手に何処にでも打ち付ける訳にはいかないために、全部打ち
終わって帰社すると夜中になった事もあり毎週土曜日は本当に辛い地獄の週末だった。
もう1つ食品の応援にはレトルト食品の「朝売り」と言われるモノがあった。
夜明け前から食品卸売市場に立ち大声で客を呼び込み、温めたレトルト食品を用意した
ご飯に掛けて試食して貰い、たとえ半ケースでも八百屋の大将に持ち帰って貰う販売だ。
たまに手伝う朝売りは、私には新鮮に感じる面もあったが、とにかく早朝は眠かった。
農業資材の手伝いは葉面散布剤の訪問販売が多かった。
葉の表面に散布する肥料と言う事で、静岡のお茶農家あたりをよく廻ったのを思い出す。
昼間、農家の人は畑に出ている事が多く不在の家が多かったので、最初にチラシを入れ
ておき、夜になってからポリ缶に入った現物を両手に、各農家を1軒ずつ訪問して行った。
集落近くまでは車で行くが、そこからは街灯も無い暗闇の中を懐中電灯を頼りに歩いた。
時には野犬に追われたり、溝に落ちる事もあったが、葉面散布剤を買ってくれた上に摘み
立ての新茶を入れてくれる家もあり、今思えばこれも懐かしい想い出の1つになっている。
(つづく)
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