私の無線室

  • 28. AT-230
    無線室改装しました。

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2011年6月

2011年6月29日 (水)

念願の受信機が来た

退院して一週間が過ぎた。

毎日決まった時間に食事をし、決められた大量の薬を飲む生活がまだ続いている。

お陰で日常生活に対する勘はだいぶ戻って来たが、正直2ヶ月以上使用していなかった

身体の部分は直ぐに前の様な動作が出来ずに悔しい。 まあこれも日にち薬だろう。

病院に入院中、何が一番したかったかと言うとやはり「趣味」の世界である。

人間趣味があるから仕事にも励みが出るし、今回の病にも耐えられた様な気がしている。

先ず仕事が優先だが、退院したらあれもしたい、これもしたいと色々考えていた。

そこで、退院記念に思い切って前々から欲しかった無線機器を1つ購入する事にした。

無線機と行ってもプロ仕様の受信専用機で、もはや玩具の領域ではない機械である。

ずっと欲しかったが今までは高価で手が出なかった。 しかし人間楽しめる事が最高の幸

せと、病院のベッドの上で思い切って決断し購入を決めた次第である。

主に、航空無線を聞くのが目的であるが、ラジオから宇宙通信の高い周波数まで連続し

て受信が出来る優れものである。 ほとんどの通信の傍受が可能だ。(盗聴はしない。)

AOR社のAR5001Dと言う機種で、風体からして昔ながらの通信機と言う感じが好きだ。

さっそく今までのモノと聞き比べてみたが、感度・了解度ともやはり1つも2つも上である。

レポートは改めてしたいと思うが、私の部屋にまた宝物の愛機が1つ増えた。

Ar5001d01 Ar5001d02 Ar5001d03 Newrig2

2011年6月21日 (火)

待ちに待った退院

6月20日朝の採血で、服用する薬の数がやっと決まり同時にヘパリン注射は外れた。

これで退院だと思ったが、回診の医師や看護師からは何の報告も反応も無い。

再び、白血球や炎症反応を示すデーターに異常があったのではないかと心配する。

特に最近1人で病室に居る事が多く情報の無い時には色々と余計な事を考えてしまう。

1日待ったが何の連絡も無い。 またしても退院は見送りになってしまうのかと思った。

20日夜9時の消灯を過ぎ、もう寝ようとした頃に私の担当医師が部屋に来た。

先生には入院時に救急救命室で出会い今日まで親身に私の治療を続けて貰っていた。

この日も、救急外来の対応と一連の業務が終わってから病室に駆け付けてくれたのだ。

昼間は病室に来る時間も無いほど忙しくて、こんな夜遅くになってしまった訳である。

20日の血液検査の結果も問題なし、医師の口からいつ退院しても良いと言われた。

とうとうやった、「バンザイ!」である。 こんな嬉しい事はそうめったに有るモノではない。

とにかく本当に長かった、70日を越える入院日数は、多くの方に迷惑を掛けてしまった。

復帰後は、身体も頭も共に1日も早く元に戻して再び業務に専念する事を誓った。

その後家内と話し合った結果退院日時は本日21日(火)の午後からに決めた。

入院中、たくさんの方からお見舞いや励ましを頂きました。 本ブログをお借りしまして

厚く御礼申し上げます。 本当にありがとうございました。

  

2011年6月19日 (日)

病院の1日

またしても退院が延び少しブルーな気持ちになったが気を取り直し今日も書いている。

入院期間は長くなったが、病院の1日は意外に速く進む様な感じがしている。

たぶん懲役がある刑務所暮らしの方が1日はもっと長く感じられる事だろう。??

実際、あれやこれやと言っている間に、入院からもう既に70日が過ぎている。(6/19)

病院の朝は、6時ごろに看護師達の仕事始めのざわつきで起こされる。

たまに、この時間に採血が来る。 遅くても7時には起床して洗顔と歯磨きを済ませる。

8時から朝食が始まり、9時前になるとトイレ掃除と部屋掃除が相次いでやって来る。

9時から外来診察が始まり、10時から11時の間に曜日担当医師による回診がある。

各種検査や処置がある場合は、回診時間と重なるがこの時間帯に行われる事が多い。

そうこうしている間に12時の昼食時間となる。

何も無ければここから6時の夕食までが1番自由な時間帯であるが現在は土日に関係

なくリハビリがあり、たまにはこの時間帯に検査や処置が入る事がある。

体が自由に動ける人は、点滴の合間をぬって、シャワーや洗髪も出来る。

点滴の取り替えや薬の配付、検温、血圧測定、便と尿の回数確認などで看護師が頻繁

に部屋に出入りするので、話し込んだりしていると知らぬ間に時間が過ぎて行く。

周りの病室には重病患者も多く看護師はそちらを優先して看護するので私の様に病状

が快復してくると段々出入りが少なくなり、必要な時にも来てくれず困る事がある。

夕食後の夜7時には面会終了の放送が流れ、9時には消灯となる。(相部屋の場合)

個室の場合は9時以降も手元ライトを点けて自由に出来るが私は9時半には就寝する。

毎日がこの様にして繰り返されて行く。 本当に規則正しい生活である。

Roka01 Dayroom01 Bedroom02

ちょっと一服⑤

明日は再び血液検査がある。(6/20)

ワーファリンが正常に効果を発揮し、無事に退院許可が出る事を願っている。 

  

2011年6月18日 (土)

遠ざかる退院許可

このままでは私はオオカミ少年になってしまう。

予定では、本日6月18日は速報で退院報告が書けるモノと思っていた。

しかし今回も私の期待は裏切られ、退院はまたしても見送りとなってしまった。

最近の血液検査で白血球の減少が確認されていた。 大事な血液成分だけに回復を

させておかないと退院後の日常生活で抵抗力が無くなり再び感染症に罹りやすくなる。

減少の理由として最初私はCTの掛け過ぎにより造血機能がやられたのではないかと

心配したが、それなら放射線科の医師はどうなるのか?と返されて少しはホッとする。

結局、長い間投与を続けた抗生剤(点滴)による可能性が高いと言う事になった。

既に抗生剤は飲み薬に代わっていたので退院検査まで経過観察する事になった。

17日の血液検査で白血球が増加の方向にあり、膿瘍の炎症反応が無ければ退院の

許可が出る事になっていた。 検査の結果は2つとも合格だった。(6/17)

問題は、先日腰のドレナージ処置をした時に止めた血液をサラサラにするワーファリン

の再立ち上げによる濃度調整がうまく行っていない事だった。(病院側の問題では?)

いったい、何回肩すかしに合えばよいのだろうか? しかも一週間単位で遅れて行く。

もっと早く退院出来ていたはずが、殻になった膿を引き、更にそのために行った調整で

退院が延びるのは本当に悔しい。 しかも救急以外はまた土日の休診に入ってしまう。

ただ血栓が出来るのも怖いので、血液調整は致し方ない治療だと再び覚悟を決めた。

無駄な入院日数がドンドン増えて、お客様にも会社にも随分迷惑を掛けてしまった。

私はいつになったら退院できるのだろうか? 本当に遠い道のりである。

  

2011年6月17日 (金)

再びのドレナージ

別の部位に新たな膿瘍が確認された事で、退院出来るかとハイだった気分は一転した。

医師から今回のCT所見について2通りの事が考えられると聞いた。

1つは膿瘍が終息する時小さくなって消滅してしまう以外に枯れて膿の殻を造る事があり

今回それがよりハッキリとCTに写り込んだのではないかと言う事。

つまり以前のCT撮影時には、まだ膿として確認する事が出来なかったとの見方だ。

もう1つは最悪のケースだが長期に渡り投与している抗生剤の耐性菌により新たな膿瘍

が出来ている、と言う2通りである。

耐性菌による発症の場合、それに対抗する更に強い抗生剤を使って再び長時間の治療

が必要になる。 菌の種類によっては対抗する抗生剤が全く無い場合もあると聞く。

そんな事を考えると、目の前が真っ暗になってしまった。(6/6)

2つの見方の確認として、再び腰の吸引ドレナージ手術が行われる事になった。

しかし、その時の私は血液をサラサラにする「ワーファリン」と言う薬を服用していたので

止血の関係から手術が出来ず、薬の服用を中止して4日後の実施になった。(6/10)

CT画像の誘導で腰から膿のある部分に針を刺し、膿を強制的に抜き取る処置である。

膿が抜けた場合は菌の特定のためすぐに培養に廻される。

午後3時CT室で手術が始まったが、正直私は手術よりもCTでの被曝の方が気になった。

何回か腰に針が差し込まれ膿の影にヒットしていたが、結局膿は抜き取れなかった。

やはり、膿が枯れて殻を造っていた様で、耐性菌によるモノでは無かった事が判った。

飛び上がってバンザイしたい気分だった。 これで再び退院の光が見えて来た。

 

2011年6月16日 (木)

チョット待ったの結果

血液検査の結果も良好で、リハビリも順調な事からそろそろ退院の話が出る様になった。

とうとうここまで来たかと言う思いで、私の心はハイになっていた。

退院に向けての症状確認はやはり造影CTだった。

今回の検査で腰に活性菌の映像が確認されなかったら退院と医師からは聞いていた。

リハビリの成果で既に歩けており腰の痛みも減っていた事からCT室までは車椅子で行く

余裕があった。 少し前には移動のたびに腰の激痛に悩まされたのが嘘の様だった。

もう何日かしたら家に帰れるかと思うと、造影剤の注入も苦にならなかった。

しかし、診断の結果は私の期待を裏切る厳しいモノであった。

腸腰筋膿瘍は綺麗に完治していたが別の筋肉部位に新たな膿瘍が2つ確認された。

以前のCTではハッキリと写っていなかったモノで、医師も首を傾げる結果だった。

当然の事ながら期待していた退院の話しは先送りとなってしまった。(6/6)

   

ちょっと一服④

今回の入院で私の体重は20k近く減った計算だが入院当初と現在のお腹を比べて頂き

たい。肝臓の膿が抜けて痩せたところもあるには違いないが、一番は水分だと言う事だ。

入院した頃の私は、食事もろくに食べていなかったので、ちょうどテレビや写真などでよく

見る、アフリカの子供達の様に栄養失調でお腹に水が溜まって膨れていたそうである。

水が抜けて正常になったのが今のお腹だが、それにしてもこんなに痩せるものかと驚く。

なお、現在のお腹は意識してへこましてはいないので、念のため。

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2011年6月15日 (水)

感動のリハビリ

毎日少しずつの繰り返し訓練が成果を見せ始めた頃、次のステップに移った。

歩行器を利用し、ベッドから立ち上がる訓練だった。歩行器に寄り掛かって腕の力だけを

利用して何とか体を持ち上げたが、足がフラフラで歩行器から腕が離せない。

脚力ってこんなにも衰えるモノなのか、と感心する一方で自分が悔しくもあった。

腰に負担を掛けない様、寝ている時は立て膝をしている事が多く足はいつも目に入る。

着替えの時などに見る素足は極めて貧相な、太股ならぬ細股になっていた。

ズボンを買う時、ウエストが合えば太股が入らなかった足は何処に消えたのだろうか?

同じ訓練が続けられたが、満足な立ち上がり方と手放しがなかなか出来なかった。

しかし、その日は突然やって来た。 手を離しても自分の足だけでしっかりと立っている。

この時、うっすらと涙が出てとても感動した事を今でもハッキリと覚えている。

その後のリハビリは順調だった。いつしか腰の痛みも弱くなり自分の足で歩ける様になる

までにさほど時間は掛からなかったが、この時も再び大いに感動し嬉しかった。

この頃、血液検査の結果でも腰の炎症反応が無くなっている事が確認された。

長かったがそろそろ退院が見えて来た様である。

Hokoki01

2011年6月14日 (火)

リハビリって不思議

リハビリが始まった。

赤十字病院は重症患者優先で、メインの病気が終息した時にリハビリが出来ていないと

リハビリ専門科のある他の病院に転院しなくてはならない、と言う話を聞いた。

そんな事になっては大変とガンバって始めはしたモノの長い間寝たきりだった体は全くと

言ってよいほど言うことを聞かない。いつの間にか筋肉と言う筋肉は落ちて、入院前には

75kgあった体重は57kgまで減っていた。

足のマッサージを経て、最初はベッドから起きあがる練習から始まった。

腰の痛みに加え腹筋が無くなっているのと起き方を忘れているのが重なり四苦八苦する。

最初は腕の力で起き何とかベッドに腰を掛ける事が出来たが手すりから手を離すと腰が

フラついてそのまま何処かに倒れてしまいそうでとても怖い。

天井ばかり眺めていたせいか、窓越しに見える小松島の港風景にも焦点が合わない。

一時はもうこのまま二度と立ち上がる事も歩く事も出来ないのではないかと不安になる。

もっと高齢の方もガンバっている、61歳なんか若い若いと看護師から叱咤激励され連日

の訓練を消化して行った結果いつしか自然にベッドから起き、座れる様になって来た。

手放しでもフラつく事はなくなり、懐かしい港風景にも焦点が合うようになった。

それに伴って腰の痛みが少しずつ消えていくのが実感出来た。

医師の言っていた、痛くても我慢して動けとはこの事だったのだとその頃になって判った。

リハビリとは本当に不思議なモノである。

Komatsushima

2011年6月13日 (月)

お楽しみの病院食

入院生活では、毎日3度の食事がとても楽しみだ。

救急救命室でうなっている頃は別にして病状が快復して来ると特に楽しみになる。

病院食なので、1日のカロリーが計算されており、特別豪華な食事は出ない。

朝食は「一汁一菜」的なところがあるが、長期入院で慣れて来るとこれでも結構いける。

逆に今までは食べ過ぎていた様な気がする。

Chosyoku02 Cyusyoku01 Yusyoku01 Cyusyoku03

しかし時にはご飯にうどんが付く事などもあり、食べても大丈夫かと思う食事もある。

デザートにプリンやヨーグルト、フルーツなどが付く事もあり、そんな時は楽しみが増す。

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今回の入院では流動食から制限食、普通食といろいろな病院食を体験した。

私の場合は普通のご飯でもOKだが、「白粥」が好きなので全粥食にして貰っている。

これで塩蛋(アヒルの卵の塩漬け)が付いたら最高なのだが...!

Chosyoku01 Cyusyoku02 Cyusyoku04 Yusyoku02

ちょっと一服③

「阿波っこ」は煮豆が好きである。

特に「金時豆」を好むのは先日、秘密のケンミンショーでも全国ネットで紹介された。

金時の煮豆はそのままでも食べるが、ちらし寿司やお好み焼きなどに入れる。

それ以外の料理についてはよく知らないが、もう何でもかんでも入れる家庭がある様だ。

徳島のスーパーの食品売り場では、豆類がやたらと目に付く様な気がする。

ご多分に漏れず、病院食でも煮豆がよく出て来る。 ここはやはり徳島の病院である。

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2011年6月12日 (日)

快復に向かって

治療を続けるうちに季節は入院した桜の季節から新緑の季節を過ぎ、早めに宣言された

長雨の季節を迎えた。 もう50日も入院している計算になる。(5/31)

この頃になると肝膿瘍の方はすでに終息状態だったが、腸腰筋膿瘍の方は痛みがまだ

残っていた。 看護師さん達からは膿瘍で入院の患者さんはみんな治療期間が長いと聞

いた。 医師の話では膿瘍治療は正直これで終わりと言うタイミングはなく、菌が再び活動

を始めない様、これでもかとばかり抗生剤で徹底的にたたいておきたい様だ。

病状が治まってからもしばらく抗生剤投与を続けると言うのだから、痛みが残っている間

はまだまだ退院は難しいと更に治療に専念する事を決めた。

この頃になると体は随分快復し、至って元気になっていたので、日々退屈になって来た。

本来禁止されているパソコンの使用を嘆願し個室と言う事もあって特別に許可を貰った

ものの、腰が痛いためにノートパソコンのキーを打てる体勢がなかなか取れない。

まだまだ安静にして寝ていろ、と言う事かも知れないと思った。

そんな頃、血液データでは炎症反応が治まって来ており、腰の痛みは長い間寝たきりで

あった影響が大きいので、痛みを我慢して動いて見ろ、と医師から指示があった。

とんでもない話だと思った。 しかし同じ頃、別の病状で嬉しい話も聞いた。

血栓の消滅が確認され、飛散防御の血管カテーテル手術をしなくてもよくなったのだ。

血栓が無くなった事により、ようやくリハビリが始まる。