我があゆみ歴記(最終回)
自動制御の会社に勤めて、いつの間にか4年が過ぎた。
ある日、会社に来客があったが、その客の話し声はどこかで聞き覚えのある声だった。
応接室を見ると、眼鏡の会社で共に経営者をした仲間の一人であった。
彼は私が大阪工場時代に複合材料の関係で知り合い、カーボン枠の企画開発等も一緒
に苦労した人物であるが、彼は私より1年ほど早く眼鏡会社にヘッドハントされていた。
私が転職する事を最終的に決断したのも、彼の積極的な誘いによるところが大きかった。
結局、眼鏡会社は倒産し、彼は最後まで残って会社の後始末をしてくれたと聞いた。
その後、彼は廃水処理の会社に再就職し、その日は制御設備の仕事で来社していた。
この事がキッカケとなり、彼とは再び公私で付き合いを始めた。
平成7年7月、その彼から折り入って話がある、と連絡を受けた。
福井県が誘致した三国のテクノポート工業団地に大阪から進出して来た会社が、電気の
わかる化学屋を探しているので、私に面接を受けて見ないか?、と言うのである。
彼はその会社に廃水処理の仕事で出入りしていて、私に紹介してくれたのである。
私の人生の重要な分岐点にかかわる不思議な人物であるが、今は彼には感謝している。
私はすぐに履歴書を書いて、その会社の面接を受けに行った。
その時私は、更に年を重ねて45歳になっており、またしても年齢制限の事が頭をよぎった。
しかし、私を面接したその会社の工場長は、「まだ15年働けるわ!」、と言ってくれた。
何とありがたい言葉だろうか? 私はこの会社に最後のご奉公する事を決めた。
ブログご愛読の各位には既にお判りの事と思うが、この会社こそ現在私が勤務する会社
なのである。 平成7年8月に入社後、私は工場で3年間勤務し、その後大阪に異動となり
現在に至っているが、当時の工場長が言った15年目を今年私は迎える事になった。
ありがたい事に、現在の職責のまま継続して勤務させて貰える事がこのたび決まった。
私の経歴を知っている人からは、「波瀾万丈の人生だね?」とか「回り道したね?」などと
言う言葉を聞く事もあるが、私自身はその様に思った事は無い。
何故なら自分自身で選んだ末の結果である部分が多かったのと、一見回り道をした様に
見えても、その全ての事が現在の私の血となり肉となっているからである。
還暦は人生の再出発点であり、私はもう一度初心に還って仕事を続けたいと思っている。
今回、私の歩みについて長々と書いて参りました。 読者の方々には、興味の無い部分も
多かったと思いますが、5月の連休中に迎える私の60歳の誕生日を記念して、書かせて
頂きました事ご了承下さい。 ご愛読感謝! (完)
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