我があゆみ歴記27
めがね枠用の開発は、契約の関係から大手メーカーとの提携で、素材を販売する形にて
進められた。 ほどなく樹脂製でありなかがら、金枠の様に細いめがね枠が完成した。
ナイロン樹脂と、炭素繊維、セラミックのミクロ繊維配合によるハイブリッド素材である。
当時、「カーボンフレーム」と呼ばれ、すぐにサングラス等で大流行する事になるめがね枠
であるが、この時点ではそんな事は全く予想もしていなかった。
時を同じくして、他に営業展開していた様々な用途の複合材料が日の目を見始めた。
小さな物では、腕時計やチョロQ自動車の歯車など、虫眼鏡で見なければならない様な物
もあったが、魚釣りのリールやゴルフクラブのヘッド用途等への採用が、数量を増やした。
中でも、かつて私が所属した名古屋支店の化学品担当が、T自動車のバンパー用に販売
実績を作った事が複合材料全体の売り上げを大幅アップさせる結果につながった。
そこで外注での加工はその手を離れ、徳島の工場に機械を導入しての内製が決まった。
それから間もなくして、複合材料の各商品群は十分に営業の販売ベースに乗った、と言う
理由で、開発プロジェクトの解散が決まったのである。
正直、私はこの仕事にとてもヤリ甲斐を持っていた。 開発した材料が様々な分野の用途
を次々に担って行くと言う現実は、開発に携わった者にしか判らない至上の喜びだった。
プロジェクトのチームワークも良く、成功の喜びは皆で共有する事が出来た。
そんな組織が解散と聞いて、私は何とも言えない寂しい気持ちに陥った事を思い出す。
内製化で徳島に帰れるかと期待したが、異動の発表は無く、完全にこの仕事と決別する
事になり、余計に寂しさが増した。 更にこの仕事に関わっていた数年の間にアンプルも
ガラスから樹脂に取って代わろうとしており大阪工場の存続自体が問われる様な状況に
変わっていた。 従って今度ばかりは私の次の仕事も飛び込んで来る事は無かった。
そんな折、カーボンフレームでコンタクトをした福井県鯖江の眼鏡会社から転職の誘いを
受け、私の心は大いに揺れ動く事になった。 (つづく)
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