我があゆみ歴記23
大阪工場長に呼び出しを受けた私は、そこで電気の回路図面を1つ見せられた。
新規に導入したアンプル加工機の制御盤図面であったが、この図面をもとに複製の盤を
組み立てる事が出来るか? と言うのである。
加工機は最初に1台購入すれば、機械部分を複製するスタッフは現場には揃っていた。
問題は電気制御部分で、外注に出すと1台100万円ぐらいの見積もりだと言うのである。
こんな処で学生時代のアルバイトが役に立つとは思わなかったが、図面を基に部品代を
計算したところ10万円迄で十分組み立てる事の出来る比較的簡単なモノであった。
私の見積もりに工場長は最初疑いを持ったが、間違いなく出来ると言う私の言葉に今度
は、高額な見積もりを出して来た外注に文句の電話を入れると言う。
電機業界では設計費や加工費等を入れるとこんなモノだと説明すると、それなら10万円
迄の費用で君が製作して見ろ!と、正式に工場長命令をうける事になってしまった。
同時に、生地管くくりの任務は解かれ、私1人だけの技術課主任を拝命する事になった。
制御盤の製作に必要なパーツ類は大阪の電気街、日本橋ですぐに全部揃った。
製作を前に、加工機の機械部分は既に完成しており、私の仕事が急がれた。
それから暫くして、制御盤部分も完成し、機械に取り付けて試運転が行われた。
見事に複製機は本機と同じ動きをし、この共同作業は工場長ご満悦のうちに終了した。
これを機に、旧式機械を全て取り替える事になり、私の下には次々と仕事が舞い込んだ。
今度は複製ではなく現場のスタッフが考案した機械を独自に制御する必要があった。
必要な動きを機械製作のスタッフに細かく確認しながら図面を引いて行った。
当時はシーケンサー制御はまだ無かったので、リレーとタイマー中心の回路になった。
電気パーツの入荷待ちの時などは、機械の動きを司るカムを擦る作業なども手伝った。
この時、現場の方達には金属加工や電気溶接など、それ迄私が経験をした事が無かった
様々な特殊技能を教えて頂いた。 これがまた将来私を助ける事になるのだが、その話
はさておき、この時期の私は充実感に溢れ、毎日がアッと言う間に過ぎて行った。
(つづく)
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