我があゆみ歴記11
高校3年生になって、私にも大学受験の時が来た。
この頃は全国的に学生運動が盛んで、私が大学受験した昭和44年は東京大学の入試
が取り止めになるほどその激しさはピークをむかえていた。
もちろん東大の入試など私には全くの無縁であったが、各大学における学生運動の程度
は当時の希望大学校選択の重要な要素の1つになっていた。
私は1回目の受験で大阪の大学を受験した。 大阪の私大では名前の知られている学校
であったが、入試の当日からヘルメット姿の学生に囲まれ、合格したら我々の仲間に入り
たまえ、と言われ住所と名前まで聞かれる始末であった。
不安を覚えながら受験した結果は「合格」、しかし何故か私は心から喜べなかった。
結局、期日までに入学金を納めずに、その大学への進学は取り止めた。
すぐさま進学担当の先生に相談し、2回目は学生運動のレベルから検索をして貰った。
さすがに進学担当の先生は全国的に大学の状況等をよく調査されており、少し遠くなるが
名古屋郊外に学生運動の無い学校が有ると教えてくれた。
しばらくして私は、同じ大学を受験する仲間5人と、一路名古屋に向け出発した。
名古屋市内で前泊し、受験当日は国鉄中央西線の列車で目指す大学に向かった。
乗車してわずか30分ほど走っただけなのに、列車はのどかな田舎の駅に到着した。
初めて駅に降りた時、私はハッキリとその駅の事を思い出した。
何と1年前の修学旅行の帰り、列車の窓から偶然にも見た駅、「高蔵寺」だった。
旅行の時はそんな事は思いもしなかったが、「お前は1年後にこの駅に再び来る事になる
のだ!」と言う不思議な力による知らせであった様に思ってしまう。
結局このあと11年と言う歳月、この地と関わる私の第2の生活が始まる事になる。
(つづく)
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