我があゆみ歴記13
私の、春日井アマチュア無線クラブでの活動が始まった。
アマチュア無線に関し電波法では「アマチュア業務とは金銭上の利益の為でなく、もっぱら
個人的な無線技術の興味によって行う自己訓練、通信及び技術的研究の業務をいう。」と
定義されている。
私が、このクラブに入ってまず最初に驚いたのは一般には通信を中心に活動する傾向の
クラブ組織が多い中、技術的研究と言う事に重点を置いた組織であった事である。
この当時はトリオ(現ケンウッド)や八重洲無線などメーカー製の機器がアマチュア無線の
世界にも既に浸透し始めていたが、まだまだ自作の送受信機を用いて運用していた先輩
諸氏が、このクラブには結構多かった。
更に、メーカーがまだ市場に出していない様な装置や、既に市販はされていても高価で手
を出しにくい機器等はメンバーで試行し、安く作り上げていく様な組織であった。
その中で、技術指導的な役割を担っていたのがJA2EQの加藤OMである。
入会した当初から加藤OMには何かとお世話になった。特に私が親元を離れた遠隔地で
生活していると言う事もあり、本当の息子の様に接して頂いた。
のちに私たち夫婦の仲人までお願いし、現在でも40年以上に渡るお付き合いをさせて頂
いている。 JA2EQ局の前では私の自作機器の技術レベルは幼稚だった。
こんな、「ええころ八兵衛」な事をするから、いかん!と、よく叱られたモノである。
ええころ八兵衛とは名古屋では「い~かげん」と、言う意味で使われるが、その様に言われ
ながらも結果、加藤OMには技術的な事をたくさんに伝授して頂く事になった。
高価なパーツ類も惜しげなく頂戴し、学生の私は大いに助かったものである。
もしもJA2EQに出会わなければ私の無線技術の進歩は無かったと思われるほど大きな
変化を与えてくれた、私にとって大師匠である。
よく「役者が揃う」と言うが、私がつぎに驚いたのは、まさにそれであった。
当時クラブの構成員はおよそ150名ほどいたが我々学生を含め様々な職業の方が在籍
しており極端に言えば産婆から坊主までどんな役者でも揃う感じであった。
年齢層も広く、何かある時はいつも誰か専門の方がいて率先牽引が出来る組織だった。
この様な組織の中で、私は更に無線の面白さにのめり込んで行く事になる。
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