私の無線室

  • 28. AT-230
    無線室改装しました。

2020年12月29日 (火)

一年の終わりに

昨年の今頃、現役時代オヤジが出張でよく行った中国の街から飛び込んで来た

チョッとした話題が、これだけ世界中を巻き込んだ大騒動になることを、誰が

予想しただろう。そんな「一寸先は闇」を地で行った2020年も、間もなく

終ろうとしている。何もしなかった、出来なかった一年だったが、新型コロナ

ウィルスと言う「目に見えない敵」は、我々人類に対して決して悪い面だけを

与えた訳ではない気がする。人類の生き方そのモノに警鐘を鳴らし、地球環境

改善を通じて、更なる人類の「存続」をサジェストする、神の使いだったかも

知れない。危機管理の在り方を世界中のトップに知らしめ、良きにつけ悪しき

につけ初めて実践した政策が、如何なるモノだったかを学ばせたハズだ。いま

ここで学習しておかないと、本当に近い将来人類を滅亡させる危機に直面した

場合、乗り切る事が出来ないかも知れない。何事においても今の段階で対策し

来るべき時に備えるための「学習」であり、世界はその為の「授業料」を支払

っていると考えれば、新型コロナもまんざらではないだろう。ただ心配な事は

我々と「感性」が違う政治家たちが、本当に学習をするのか、と言う点である。

新型コロナが変異するなら、選挙に当選する事だけを考えている様な政治家が

真剣に国難を考え、対処できる様に洗脳するウイルスに変わって欲しいものだ。

2020年12月28日 (月)

マスクの有効性

新型コロナウィルスの関係でTVなどによく登場する医師たちが、異口同音に

マスク着用の有効性を唱えているが、オヤジにはそれが良く解る。小さいころ

から喉が弱く、冬間にマスクを着けないままで父親の自転車の前カゴに乗って

風を切ると、必ずと言ってよいほど風邪を貰った。大人になってからも人混み

や職場では、トローチや喉スプレーが手離せなかったオヤジだったが、最近は

全く喉の違和感が無く、風邪を引きそうな気配も無い。やはりマスクの着用は

新型コロナウィルスだけでなく、インフルエンザや風邪、更には多くの細菌や

ウィルスの飛沫を、かなりの高い確率で防御している証拠なのだろう。昔から

オヤジが風邪を引くとき、喉の痛みから入らない場合には比較的軽く済んだが

喉から入った場合は重症化した。風邪の前兆として「ゾクゾク」とすることが

あるが、そんな時にオヤジは、熱い風呂に入ると大概は復活する。寒い北陸で

フォークリフトに乗っている最中に、たまに「ゾクゾク」がやって来ることが

あったが、そんな時はそのころ上司だった福井のオヤッサンに許可をもらって

10時か3時の休憩の時に、ねんがら沸いている風呂でサッと温まって来ると

ゾクゾクが無くなったものだ。そんな意味で、オヤジは工場では随分助かった。

人それぞれ個人の体調管理方法はあるが、世界の各国もマスクは着けて欲しい。

Mskgun

2020年12月27日 (日)

無いモノねだり

よく「無いモノねだり」と言うが、当たり前に出来ていたり、容易に手に入る

時にはさほど欲しないが、出来なくなったり入手が困難になると、急にやって

みたくなったり欲しくなったりすることがある。そんな一つにオヤジは学食の

飯がある。当時は学食以外で食事をすることが、一つのステータスであったが

それでは、仕送りがすぐに無くなってしまう。仕方なく食べていた部分が大き

かったが、そんな学食が何故か懐かしい。値段も良くなったが内容もなかなか

素晴らしいモノになっていると聞くとなおさらだ。最近の学生は贅沢になって

来た様で、学食もそれに合わせて来たのだろう。食事と言えばオヤジも多くの

外食をして来た。工場勤務の時には給食弁当が中心で、今日は何を食べようか

などと考える事は無かったが、外回りの時には大変だった。大概は、出掛ける

場所によって食べる処は決まっていたが、困ったのは初めての場所だ。マンガ

孤独のグルメの主人公、井之頭五郎さんの様に何処でも平気で飛び込んで行け

ない臆病なオヤジであった。そんなときに助かったのは、国鉄時代の管理局や

市役所や県庁などの食堂だった。安価で、そこそこの食事が出来たものだった。

ただ、入場制限などがあったが、旧国鉄にはディーゼル機関車のラジエーター

用の防錆剤納入などの関係から「業態登録」と言うのが出来ていて、入場する

許可証があった。そのために格安で食券が買えたり、当時ビックリするぐらい

何でもモノが安かった「物資部」などが利用できた。俗に言う「役得」と言う

ヤツだが、今思えば懐かしき良き時代だった。叶うなら無いモノねだりしたい。

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Gkskmn

Kkttbsb

2020年12月26日 (土)

物事の考えかた

県民ランキングに反し貯蓄額が少ない我が家だが、夫婦の間でも異なる一つの

考え方について、その事がお金の貯まらない理由になっているのかどうか是非

とも皆さんに伺ってみたい。それは「買い物」についてだ。世の中には特売や

キャンペーンなど、普段よりもお値打ちに物品やサービスを提供しようと言う

企業や組織がある。身の周りのスーパーや量販店に始まり、ネット通販や連日

報じられているTVの通販などがそれであるが、最近ではGoToなにがしが

一番解り易い例だろう。幾ら購入をすれば、幾らお得になるとか、普段幾らの

商品が何割引きで買えるとか、ポイントが幾ら付いて来る、と言った商法だが

家内などは、これに目の色を変える。確かに普段の生活に直結したスーパーや

量販店のキャンペーンは、若干の先行投資でプリペイドカードに、いつもより

多く金額チャージなどが出来る。どうせ使用する「必需品」のために、と言う

考え方はオヤジも賛成だ。しかし、Gotoなにがしの様に、旅行に行ったり

食事をしなければ使うコトのないモノに、安いから、得をするからと、無理に

お金を使おうとするのにはオヤジは反対だ。孫子に会いに行くために旅行する

から、大勢で食事をするために、と明らかな利用目的があるのなら、買わない

手はないだろうが、今はそんな時期ではない。つまり、たちまち必要では無い

モノに、お得と言う理由だけでお金を使いたくない、と言う感覚である。その

ために、必要時には特売は終わっていて定価でモノを買った事もあった。この

考えかたがこれ迄の人生で得をしたのか損をして来たのか、誰か教えて欲しい。

Eventcp

Gotoenent

2020年12月24日 (木)

ワクチンが必要

先のブログで現政権を批判する野党も野党だ、ただ与党を批判するだけでなく

今しなくてはいけない、野党としての仕事があるだろう、と書いた。オヤジが

もし野党の代表をしていたら・・などと考えた事もあったが、よくよく考えて

みると、野党がそれをしない理由が判る。それは、現在のポジションが野党に

とって居心地が良いからだ。自身は責任を持たず単に与党のやりかたを批判し

あたかも自分たちは仕事をしています、とばかりのジェスチャーを見せるだけ

で良いのだから、ある意味こんな楽な仕事はないだろう。そんな意味からして

与党は、なんだかんだ言われながらも、まだ自分たちが責任を負う立場にある

だけ大変だろう。同時に、野党が与党に政権を取って代われない理由の一つに

なっているのだろう。与党も野党もがこんな感じだと、誰が政治をしても同じ

と言う気持ちになり、政治に興味の無い若者が増えても仕方がない。いつから

こんな時代になったのかと思うが、昔からそうなのだろう。コロナ禍で自粛を

呼び掛けている最中に大人数で会食をしたり、感染を防止するためにコンパニ

オンを呼んだ、などと苦しい弁明をする政治家がいる。彼らは我々が共に仕事

をしてきた者とは根本的に「種」が違う。こんな「種」が政治家を目指すのか

政治家になるとこんな「種」に変異するのか、いずれにしろワクチンが必要だ。

2020年12月21日 (月)

CMのカラクリ

先日、CMによってオヤジが新しいお酒を飲み始めたことを書いたが、本日は

そのCMについて少し触れてみたい。企業には様々なタイプがあり、消費者に

直結する末端商品を扱う企業から、消費者は全くその存在を意識しない企業に

至るまで多岐に渡る。オヤジは、これら両極端の企業を経験する事が出来たが

それぞれ「宣伝」と言う業務は難しい側面を持つ。特に末端消費者に直結した

メーカーの場合、宣伝はもの凄く繊細である事を知った。普通末端商品を販売

する場合、CMを打てば打っただけ売り上げが増えるわけではない。ある数字

以上に打っても、それ以上売り上げが増えないリミット点、と言うモノが必ず

あるが、企業はこの点まではCMを打つ必要がある。何故ならばその数字以上

に宣伝の数を増やしても売り上げが上がらない反面、1%落としたら1%だけ

10%落としたら10%売り上げが下がるからだと言う。つまり限界点よりも

下の場合は、顕著に数字に反映されるからだ。末端商品と言うモノはどんなに

人気商品でも必ず売り上げ数はやがて下降線となる。この数字を見据えながら

下手な鉄砲の如く、必要以上にCMを無駄打ちする事なくタイムリーに対処し

その時の売り上げが最高値になるように宣伝を打つことは、ある意味宣伝部の

テクニックとノウハウだと言う。CMに起用するスターや、女優さんに逢えて

羨ましいな~、と思ったこともあったが、仕事とはなんでも大変なモノである。

Tvcmps

2020年12月18日 (金)

昔も今も同じだ

戦国の武将「明智光秀」を主人公にしたNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」も

そろそろ佳境に入って来た。例年なら12月に最終回を迎えるが、今年だけは

新型コロナの影響で撮影が中断したために、放送は来年の2月まで延長される。

これまでも大河ドラマではさまざまな武将が、スポットライトの当て方一つで

善人になったり、悪人になったりして来た。今回の主人公、明智光秀も同様で

これまでは主君の織田信長に謀反した悪人として描かれて来た。しかしながら

麒麟がくるや、多くの書物などから見られる主人公明智光秀は、どう考えても

主君に反旗を翻すような、愚かで思慮の浅い人物ではない、とオヤジはおもう。

この点については、歴史学者の磯田道史氏も、謀反の経緯については確固たる

資料がある訳でないので、としながらも頭の良さについては、当時の織田家の

中ではズバ抜けており、たとえ謀反が成功したとしても、秀吉や柴田勝家らを

敵として一戦交えることになるのは、容易に判断出来たハズだと言う。ただし

当時信長は、本能寺に泊まるようになる前は、京都に来ると光秀の屋敷に逗留

しており、しかも無防備であったという。このことから信長は、光秀に対して

全幅の信頼を寄せていたのと、逆に光秀からすればいつでもヤレる、と言った

気持ちがあったのではないかと言う事だ。本能寺の変については色々な人物の

陰謀説などもあり、推測の域を出ない。ただオヤジが想像するに、明智光秀は

秀吉のように、怖い信長と直接会話をせず、避けていた部分が多かったのでは

ないのか、と思う。直接対面せず、文書や人を介していると必ず誤解が生じる。

上司が怖いからと逃げてはダメだ。それは昔オヤジも経験し、反省したことだ。

Krngkr

Akcmthd

2020年12月15日 (火)

オヤジの隠し芸

時に元禄15年12月14日江戸の夜風を振るわせて響くは山鹿流儀の陣太鼓

しかも一打ち二打ち三流れ、思わずハッと立ち上がり耳を澄ませて太鼓を数え

おう、まさしく赤穂浪士の討ち入りじゃ、助太刀するはこの時ぞ、もしやその

中に昼間分かれたあの蕎麦屋が居りはせぬか、名前はなんと今ひとたび逢うて

別れが告げたいものと、稽古襦袢に身を固めて、段小倉の袴、股立ち高っかく

取り上げし白綾たたんで後ろ鉢巻き眼のつる如く、なげしにかかるは先祖伝来

俵弾正鍛えたる九尺の手槍を右の手に切戸を開けて一足表に踏み出せば、天は

幽暗地は凱々たる白雪を蹴立てて行く手は松坂町・・・これは長編歌謡浪曲の

俵星玄蕃の語りの部分だ。昔々の本日未明、ご先祖様の藩の浪士、四十七人が

江戸本所松坂町の吉良上野介の屋敷に討ち入って本懐を遂げたとされる。子孫

と言う訳でもないのに、昔からオヤジはこの時期になると何故か血が騒ぐのだ。

この長編歌謡浪曲に至っては、就職した時の「一芸」のため学生時代に覚えた。

芸は身を助けると言うが、歌から始まり浪曲、語りを丸暗記したお陰で宴会の

かくし芸には困らなかった。「おい、サク・サク・サク」をやれ、と引っ張り

ダゴだったため調子に乗り「赤垣源蔵徳利の別れ」や「紀伊国屋文左衛門」も

空で歌えるように練習した。当時は、カラオケがなかったのも良かった様だが

一つ出たホイの、が主流だった時代に、オヤジの芸は新鮮だったかも知れない。

会社員でもそんな下積みの時代があり、段々と上に行く、社員旅行がイヤだの

忘年会がイヤだの、文句の多い若者が増えたが、いまの世の中は本当に幸せだ。

Akrsucir

2020年12月12日 (土)

コロナの思う壺

もうオヤジは、この国の舵取り人達が理解できない。それほどまで経済優先の

政治が必要なのだろうか。冬場を迎え、新型コロナウィルスの感染が再び拡大

して来た、と言うのに一体何をしている。肝心な対策は地方自治体に押し付け

分科会の警鐘には、どこ吹く風である。確かに細かい対応は、自治体に任せた

方が良いが、日和見だけで責任を果たさないのでは、全く存在する意味が無い。

例えは悪いが、ARDFの大会をJARLの県支部が行わないため、オヤジの

組織だけで実施する様なものだ。組織にはそれぞれ「分」と言うモノがあって

それぞれが、それ相応の役目を果たさなくてはならない。そんな意味からして

新しい政権になってからは、前の政権以上に耳を貸さない感じだ。感染拡大時

GoTo云々を、タイムリーな時期に変更する事も無く、期間を延長してまで

頑なに推し進める政府も政府だが、ホイホイとそれに乗せられて利用する者も

利用する者だ。自分達だけは絶対コロナには罹らない、と言った感じが見える。

年末年始、確かに楽しい時季であり多くの人たちとコミュニケーションを取り

たい気持ちはオヤジも同じだが、感染を少なくする努力をして、感染を収めて

ワクチンが普及すれば、またいつでもできる。ここ一番での辛抱が、どうして

出来ない。国と国民が間違った方向に行ってしまう事こそコロナの思うツボだ。

2020年12月 9日 (水)

縁の無いその日

家内と一緒に買い物に出掛けた。場所はYoumeタウンだ。徳島県板野郡の

藍住町と言う近年ドーナツ現象で発展した街にある。JRならほとんど利用者

がいない「勝瑞」とか「吉成」と言った田舎丸出し駅近くの街だが、車社会の

徳島では、この辺はある意味市内よりも賑やかな街かも知れない。近くに家電

量販店やDIYのプロショップなどがあり便利な処である。広い駐車場が確保

されているので、いつ来ても安心だ。やはり閉店した「そごう徳島」のように

有料駐車場しかないショッピング環境は、車社会の街には適さないようである。

ところがそんな量販店の駐車場が、この日はウィークデーだと言うのに一杯だ。

停めるまでに駐車場内をグルグル回る始末だ。年末で混んでいるのは間違いは

無かったが、よくよく考えるとこの日は巷ではボーナスの支給日だ。どうりで

混んでいるハズだ。ボーナスなど貰わなくなってから久しいオヤジはすっかり

忘れていたが、本当に現役は羨ましい限りである。そんなボーナスもコロナの

影響で、去年並みに貰える会社は御の字で、額が大幅に減ったり、中には会社

自体が消滅したところさえある。こんな時には年金暮らしが本当にありがたい。

国が会社の感じであるが、それは間違いだ。オーイ俺はもっと掛けていたぞ~

と叫びたいが、この様なご時世上を見ても下を見てもキリがない。感謝感謝だ。

Youme

Szuist

Ysnrst

Nnkin