話すことの意義
オヤジがリタイアして数年が経過したが、お客さんとの会話が無くなることは
寂しい、と言う現実を実感するようになった。新型コロナウィルスが流行する
まではさほど感じなかったが、自粛生活が始まってから特に感じる様になった。
当たり前のように日々交わされていた会話が持つ「重要性」は何も仕事上の事
だけではない。本題に入る前に交わされる、たわいの無い話しの一つ一つには
大きな意味が有ったわけで、その一つ一つが「商談」を左右する序章であった。
時には本題よりも長い時間語られ、知らない人たちから見れば何の仕事をして
いるのだ、と言われそうな事もあった。しかしコミュニケーションとはそんな
モノであり、この部分だけはどんなに時代が進んでも、AIには代行出来ない
分野だとオヤジは思っている。何故ならば、AIがその仕事をリタイヤした時
スイッチを切られたAIに、寂しさの感情が出て来る事は無いだろう、と考え
るからだ。今振り返ると、増えた名刺の数だけ多くの人から多くの事を学んだ
訳で、これを知識の「財産」と言うのだろう。たわいの無い雑談に秘められた
雑学は、次の雑談の「種」になった。その日の会話が、どんな話題から始まる
かは全く予想できないワクワク感に満ちていた。良くない商談の前にはあえて
明るく会話し、本題を緩和させた。こんな体験が出来た事は本当に幸せだった
と振り返るが、現在は様々な仲間たちとZOOMミーティングに興じるぐらい
しか「話す」を実感できなくなってしまった。しかし便利な様でも所詮はAI
モドキを利用しての会話には違いない。せめて直接人と人の心の会話がしたい。
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