琴線に触れる曲
新型コロナウィルス感染拡大の中、今年も24時間テレビが終わった。新しい
スタイルの放送を余儀なくされ、昨年までとはチョットだけ様相が変わったが
番組の最後は例年通り「サライ」の大合唱で締めた。実はこのサライという曲
最近までオヤジは涙なしで聴くことが出来なかった。琴線に触れる、と言うの
か涙腺に触れると言うべきか、これまで24時間テレビの最後は大変であった。
人間は自身の人生を歌に重ねる部分があり、オヤジも例外ではなかったからだ。
サライが誕生したのは1992年の24時間テレビだった。番組中に加山雄三
さんと谷村新司さんが全国から寄せられた「愛」をテーマに作曲した曲である
が、この頃のオヤジは最も苦しい生活の真っ只中で、琴線はその歌詞にあった。
♬ 遠い夢すてきれずに故郷をすてた。穏やかな 春の陽射しが
ゆれる 小さな駅舎
この部分は、大手企業から夢を求めて転職した、意気揚々だったころとダブる。
オヤジが福井にやって来たのは、1987年(昭和62年)の季節は春だった。
♬ 恋をして恋に破れ眠れずに過ごす。アパートの 窓ガラス越し
見てた夜空の星。この街で 夢追うなら もう少し強くならなけりゃ
時の流れに 負けてしまいそうで
この歌詞はベンチャーに失敗し、最後は机を叩いて辞めたがどうやって家族を
喰わせて行こうか真剣に悩んでいた頃と重なる。リクルートは最後には年齢で
ダメになり、藁をも掴む思いで制御盤屋へ。しかし盤屋の給料では苦しかった。
こんな時、サライが生れた。時に平成4年、子育てが一番大変な時期であった。
極めつけは次の歌詞。反対を押し切り転職したオヤジには帰る場所は無かった。
♬ まぶたとじれば 浮かぶ景色が迷いながら いつか帰る 愛の故郷
サクラ吹雪の サライの空へいつか帰る その時まで 夢はすてない
そんなオヤジだったが、今は想い出話として故郷でブログが書ける。あれから
オヤジの人生を変えた多くの人との出会いがあった。そんな人達に感謝である。
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