私の無線室

  • 28. AT-230
    無線室改装しました。

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2019年12月

2019年12月31日 (火)

忙しくなりそう

2019年もいよいよ大晦日を迎えた。オヤジにとっては、まるまるサンデー

毎日を過ごした一年であったが、健康に過ごせた事がなりよりだった。年末に

これまでの定期検診で一度も調べた事が無かった前立腺のPSA検査をやった

が、これも全く正常値で一安心だ。血糖値履歴のHbA1cも健常者の領域の

値に戻り、8年前から服用していた処方箋薬も随分減った。すべて運動を取り

入れたお陰のようで、日々の努力はウソをつかない事が解った。趣味のほうは

県支部の役員は降りたが、登録クラブであるARDF徳島の代表は続けている。

先日総会を開き、本年度の有名無実の活動状況を詫び、クラブ存続の是非並び

に代表交代の動議を出したが、県支部組織と違ってARDFには肯定的な者達

の集まりである事から存続が決まり、これからの活動についての意見があった。

2020年は基本的に奇数月の最終日曜日には、練習会など何らかの普及活動

を実施する事になり、代表者の継続を拝命した。これらの決議を持って県支部

役員並びにクラブ代表者合同会議に出席し、活動に対して県支部としての協力

を依頼したが、例によって良い顔をする者は少なかった。そんな一年であった

が、オヤジには今年もまた全国的に友達が増えた。これは本当に嬉しい出来事

である。小さな田舎街で、些細な事に気を病むことも無く、2020年は同じ

趣味を持った仲間たちと幅広く楽しみ、もっともっと仲間を増やして行きたい。

本年度もオヤジのブログにお付合いいただきありがとうございました。来年も

どうぞ宜しくお願い致します。さあ!、来たる2020年は忙しくなりそうだ。

Mzgwke

2019年12月30日 (月)

見えて来たモノ

国政大臣の失言や不祥事が相次ぎ、そのたびに「任命の責任は私にあります」

と言いながらも、一向に責任を取る気配が無い指導者がいる。ノラリ・クラリ

とやり過ごすのもテクニックの一つなのだろうが、その事が仕事と趣味の世界

の組織を離れ、外野から物事を見るようになって少し判って来た様な気がする。

合理化でメシを食って来たことと「長いモノには巻かれろ」が嫌いなオヤジに

とっては、何事においてもハッキリ、スッキリさせず、オブラートに包み込ん

でしまうような事が許されないところがあった。特にムダと判りながら不必要

な手間を平気で掛けている様な事については、黙っていられなかった。そんな

時にはストレートにモノを言って来たが、賛同を得られた人が居た半面、長年

に渡って、無駄な事を続けて来た人たちには面白くなかった事だろう。彼らに

とっては、それが非合理的だ、と解っていても変革したくないからなのである。

言い換えれば、合理的な事を考えて実行するより、旧来のやりかたを繰り返し

延々と行うほうがずっと楽だからだ。しかし、そこに金銭や個人の利益が絡む

ならともかく、そうでないならば目くじらを立ててあえて是正を促す事はしな

くても良いのではないか、と思うようになった。それで関係が良くなるのなら

ともかく、逆にギクシャクしてしまう様ではマイナスになってしまう気がする。

オヤジも年を取ったのかも知れないが、少しだけ後ろに下がって生きてみたい。

そんな事を考えている、2019年ラス前の雨の朝である。

2019年12月29日 (日)

除夜の鐘の危機

最近時代の流れとともに、また一つの風物詩がその姿を消し始めているらしい。

除夜の鐘だ。人間が持つ108個の煩悩を消し、新しい年を迎えるため大晦日

の夜から越年で打ち鳴らされる鐘だが、全国多くのお寺で鐘を撞く事を止める

ような動きになっている、と言う。理由は「うるさい」と文句を言う者が増え

て来たからだそうだ。嫌なら日本からいなくなれ、そんな事を言っていたなら

MRIに入って病気の診断もして貰えなくなるぞ、1年365日朝から晩まで

鳴らしている訳でもなし大晦日の晩ぐらい辛抱できないのか、と思うのである

が、ここにも高齢化社会の影響が出ており、カウントダウンだ紅白だ、などと

騒ぐこともなく、いつの場合でも定時に床に就く年寄りも多いのだ、と言う。

そう言われてみれば深刻な面もあり、それに気付かなかったオヤジはまだ若い

のかも知れない。しかし、こんなことが話題になる時代が来ることを誰が想像

しただろうか。各地のお寺では単に中止にするだけでなく、夜に撞かずに日中

から夕方に掛けて撞く「除夕の鐘」にしたりして対応しているそうだ。様々な

問題が関連するため一概に是非は問えない部分はあるが、本当に深刻なケース

を除いて、ほんの僅かの行事が辛抱できないなら、日本人として寂しい限りだ。

紅白歌合戦が終わって雪の永平寺がテレビ画面に映し出された時、そこに鐘の

音が聞こえない時代が来る事だけは、どうしても想像したくないオヤジである。

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2019年12月28日 (土)

本年最後の愚痴

今年も残り少なくなって慌ただしさが増して来た。これに併せる様にオヤジの

周りでも溜飲が下がらないような事態が激増している。もう愚痴を書くことは

止めて楽しい話題ばかりにしよう、と思っていたがオヤジを取り巻く環境では

とても実行出来そうもない。散歩に出掛ける様になってから、一番の交通弱者

と言う立場になったが、車を運転する時以上のストレスが出来た。横断歩道で

は、ほとんどの車が止まってくれないし、信号機がある交差点でも右左折する

車は必ずオヤジの前を通って行く。一時停止をする車は、そのまま進行すれば

オヤジをハネてしまう事になるので、仕方なしに止まる車ぐらいだ。横断歩道

の信号が青になったので渡ろうとすると、左右から赤信号で平気で突っ込んで

来る車もある。年末で忙しいのか、特に商業車に多い。もう無法地帯である。

自転車は何でも有りで、勝手な時は車道、勝手な時は歩道を信号無視で走って

行く。歩行者は、車だけではなく自転車との接触まで気にして歩くことになる。

水際公園の遊歩道に入るまで、連日この無法地帯のストレスを受け続けている。

いつが来たら警察24時に見られる様に、この手の取り締まりを強化してくれ

るのだろうか。真面目に法を守っている者の溜飲を下げる取り締まりの強化を

望んでいるオヤジであるが、田舎街ほど期待できないのが、現実であるようだ。

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2019年12月27日 (金)

水商売に学んだ

香川の仲間たちと忘年会をした。場所は、東かがわ市の三本松だ。香川の田舎

街にある場末の飲み屋街だったが、こいつがなかなかバカにできない。美味い

魚を食べさせる店や、手頃な値段でハシゴ酒が出来るスナックがたくさんある。

ARDFの仲間たちと日が変わってしまうほど飲んだが、今回は飲み会の話し

ではない。酒を飲む事からでも様々な人生勉強が出来る、と言う話しだ。特に

小さくても一国一城の主たる「ママ」と呼ばれる人物は凄い。お客と言う人物

を見抜く能力は、ある意味大手企業の人事担当よりも優れているかも知れない。

初めて訪れた人物が、この先店の為になるかどうかを判断しなくてはいけない。

その観察力には驚く事も多い。更には営業ウーマンとしての能力も備えている。

礼儀作法から始まり、見ていると勉強になる。確かに全てに渡ってそう言った

ママばかりでは無いが、繁盛している店のママは大体そんな人が多い様である。

世の男性の中には、安っぽく上から目線で接する者もいるようだが、とんでも

ない話しで、接する人に合わせた形で返してくれるのも、彼女らの素晴らしい

ところだ。こちらが礼節を持って接すれば、それなりにキチンと返してくれる。

やはり人を見て接しているので、そんなことから自分の相手に対する接し方を

確認できるのである。オヤジ達の様な年齢になると、飲み屋でホステスさんに

本当にモテる事など少なくなるが、人気のある客は居る。金づかいが良いだけ

ではないモテ方、と言うのはやはりキチンと接することではないだろうか?。

仕事を終えた今、改めて勉強をしたオヤジだが、何処にでも教材は眠っている。

2019年12月26日 (木)

あきれる新人類

今回も、そんなコト考えた事なかったクイズ「トリニクって何の肉」の番組に

ついてのお話しだ。昭和生まれならほぼ100%答えられる様な問題を、平成

生まれが間違えるところが面白いポイントになっている番組だが、昭和生まれ

に出題される問題の中には、オヤジが知らなかった様な内容が含まれることが

あり、たまに見る番組だ。先日の放送でタコの脳みそは9個、心臓は3個有る

事を知った。また何故「凧揚げ」と言われる様になったかも学習した。そんな

番組だったが、将来の日本を背負う平成の若者としてチョッと心配になる様な

解答があった。きな粉は何、と言う問題で多くの若者が「木の粉」と答えた。

オガクズ、つまり木の粉が訛ってきな粉になったとの考えだ。ちなみにカツオ

節も木だ、と平然として答える。理由はカンナで削るからだそうだ。これらの

答えがウケを狙ってであり、この先常識的な事を身につけて歳を重ねて行くの

であれば何も言うことはないが、非常識なままで人の親になり、我が子を教育

する姿を思い浮かべると、他人事ながら複雑な気持ちになってしまう。学歴が

全てではない事をいっぱい見て来たオヤジだが、いくらおバカキャラだと言え

日本人の大半が答えられる常識的なことは身につけて欲しい、と願うばかりだ。

ちなみに凧揚げは、江戸時代たくさんの足を付けて揚げていたことから、イカ

のぼり、と呼ばれていたが大名行列の上に落下するなどの事故があり、幕府が

禁止にしたそうだ。そこで江戸っ子たちは、イカがダメならタコでどうだ、と

ばかりに「凧揚げ」に改名したそうである。その名残として「いかのぼり」で

検索すると「凧」と言う一文字が出る。また一つオヤジも知らない事を学んだ。

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2019年12月25日 (水)

忘年会のスルー

SNSは、語句の最初にハッシュタグつまり「#」を付けて検索すると、その

ことばに関連した内容の記事がズラズラと出て来る仕組みだが、年末に入って

から「#忘年会スルー」ということばが急上昇して話題になっているようだ。

いかに忘年会に参加したくない者が増え、どのような理由付けによって忘年会

をスルーするのかを書き込んでいる訳だが、ここでも大きな時代の流れを感じ

ずにはいられない。昔から、酒が飲めない者が、飲む者と同じ料金を払うのは

イヤだ、と言って参加しなかったような例はあったが、大概の者はこれも大切

なコミュニケーションの一環だと思ってみんな参加したモノだった。最近特に

言いたい事が言える環境と、特異な考え方を持った若者が増えて来た事により

オヤジ世代から見ると、わがままとも取れるような言動が目立つようになって

いるが、まんざらそれだけでは無い様な気もする。最近、とかく何かあったら

騒ぎたい若者がこれだけスルーしたいのには、それだけの理由が有るのだろう。

オヤジの考えでは、仕事を離れてまでの上下関係の継続や、男女平等の不履行

一気飲みなどによる酒の飲み方など、会自体の雰囲気が影響している気がする。

やはり、高い会費を支払ってでも参加したくなる雰囲気が作れていないような

ところに問題があり、その点は忘年会を主催する側にも十分責任があるようだ。

かつて社員旅行で海外へ行った際、バスなどで団体行動をしたくない、と言う

意見があった。それが面白いのだと言っても参加者が減ったのでは意味がない。

そこで、往復の飛行機と宿と食事だけを会社が確保し、あとは個人の自由行動

にしたところ多くの参加者が集まった事があったが、これから色々なイベント

を続けて行こうとするのであれば、従来からの習慣の強要は難しいようである。

ただし、上司へのお酌を通じ会社人としての礼儀作法を学んだ先輩たちは多い。

若者よ、それを拒否するならば、礼儀作法は自ら学ばねばならぬ、と覚悟せよ。

それも出来ないなら幾ら時代は進んでも、君たちは礼儀知らずで終る事になる。

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2019年12月24日 (火)

武士の情け合奏

年末を迎えて全国各地で「第九」の演奏や合唱が行なわれている。いつ頃から

これが年末恒例の風物詩になったのかは定かではないが、日本で最初に第九が

演奏されたのは、徳島の片田舎だったことをご存じだろうか。第一次世界大戦

において、日本は中国の青島でドイツ軍と戦って勝利し、その時の捕虜たちを

日本に連れ帰って全国各地に収容した。その一つに、徳島県鳴門市の板東俘虜

収容所があった。場所的には、四国八十八か所の一番札所の霊山寺と二番札所

の極楽寺の中間ぐらいのところだ。そこに収容されたドイツ人は、もとからの

軍人は少なく、家具や楽器の職人、肉屋やパン屋、農家、ウィスキーの専門家

などがいたそうだ。そんな民間人中心の捕虜だったが、当時の収容所長だった

松江豊寿大佐は、一国を背負って戦った兵士として彼らを手厚く迎えたそうだ。

俘虜収容所、と言っても活動は比較的自由で塀や垣根も無く農業や、音楽活動

演劇などを許可し、地元の人たちとの交流も盛んであったようだ。そんな捕虜

たちが楽器を作り、祖国ドイツを代表する「歓喜の歌」を演奏し、国の垣根を

越えて歌ったのが始まりだと聞いている。この史実は「バルトの楽園」と言う

映画で有名になったが、撮影は現在「道の駅第九の里」になっている収容所の

跡地で行われた。現在、徳島市内の水際公園の一角にも「武士の情け」と刻ま

れた石碑がある。当時に想いを馳せると、何事も責任者の器量一つだ。捕虜と

して粗末に扱う事も、敬意を表して接する事も出来る。ここにオヤジが考えて

いた本当の徳島県人の姿を見た様であり、嬉しく、また誇りに思う次第である。

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2019年12月23日 (月)

自慢できた仕事

首相補佐官と女性官僚の公私混同問題が、いまだに燻っている。火の無い処に

煙は立たないと言うし、週刊誌が追っかけて写真まで撮っている以上、そこに

何か有る、と疑われても仕方がない。やはり立場上、毎日の行動をクリーンに

しておく必要がある。今思えば、オヤジも仕事がら、中国に遊びに行っている

ように思われた。知らない者が出張を羨ましがる事がそれを物語る。いつでも

代わってやる、と思っていたのと何よりも経営者が信用してくれていたことが

救いだったが、それを裏切らない様にオヤジも真面目に仕事をして来た。何を

もって真面目、と言うのかは難しい定義だが、オヤジの中では会社人として人

に堂々と話せる行動をすることだ、と思って勤めて来た。そんなこともあって

出張中は、観光などほとんどした事が無い。車で移動中に、パートナーが少し

だけ名所に立ち寄ってくれた事があったぐらいだ。そんな事もあってオヤジは

改めて家内と一緒に中国を旅した。もちろん私費であることは言うまでもない。

良い格好を言う訳では無いが、人間は弱い動物だ。特にモノを頂戴する立場に

なると様々な誘惑もある。相手にしてみればそれが仕事で、出張のたびにハメ

を外している人の話しも聞くが、そんな仕事は長続きしないだろう。オヤジの

場合、営業の立場と仕事を理解した上で、購買と言う仕事を仰せつかったこと

から、相手の作戦が手に取るように解った。更には自社とそのグループ会社で

出張していた事、また中国のパートナーがクソが付くほど真面目な人物だった

事も功を奏したようだ。15年の長きに渡りそんな出張が出来たのもオヤジに

取っては自慢できる話しだが、これもオヤジが周りの者に恵まれていた証しだ。

2019年12月22日 (日)

人生初の忘年会

オヤジが70歳を前にして人生初の忘年会を経験した。それは昨日の夕刻から

ほぼ12時間連続で飲んだことだ。本日の書き込みが遅くなったのは、昼ごろ

起床したからである。気の置けない徳島のアマチュア無線仲間が、15人ほど

集まっての有志忘年会だったが、今回は実に楽しい忘年会で気が付けば4次会

まで行っていた。これまでの忘年会は、1次会で帰ってしまう者が多かったが

何故か昨晩は、流れから消えて行く者がいなくて、気が付いたら大勢ゾロゾロ

オヤジ達について来た。お店の方は大喜びだが、時節柄ほかのお客も多いので

カラオケは回ってこないし、話をする女性もいない。結局仲間たちとの話しに

終始し、最終店が閉店したあとも路上で話した。今朝の徳島は天気予報が良く

なかったのでその分暖かく、路上会話も寒くなかった。北陸では信じられない

だろう。驚いたのは朝5時前だと言うのに、街はいつもオヤジが帰路につく頃

の感じとほぼ同じだった事だ。みんなこんな遅く迄、いやいやこんなに早く迄

飲んでいるのだ。徳島の飲み助恐るべしである。何よりも、何かと無茶をして

いた若い頃にもしなかった徹夜飲み、オヤジはどうなってしまったのだろう?

自分でも不思議だが、そろそろまだ残っていたエタノールがアセトアルデヒド

に変化している様で頭が痛くなって来た。今日の運転はオヤジも日曜日にする。

Bonki

Krok