鄭州に想い馳せ
卓球のワールドツアー・グランドファイナルが閉幕した。世界ランクでベスト
16の選手たちが競った大会だったが、ここでも中国の高い壁が立ちはだかり
来年の東京オリンピックに課題を残した。今回の話題は、そんな卓球のお話し
ではなく、大会が開催された中国の都市「鄭州」についてだ。鄭州はオヤジが
中国で訪れた多くの土地の中でも特に思い入れが強い土地だ。それは、福井の
工場で最も多く使用する原材料の生産が日本からその姿を消す事になり、ただ
ひたすらなりふり構わずに、その原材料を求めて駆け巡った土地だったからだ。
鄭州は河南省の省都で、古代より交通の要所だった街だ。郊外には黄河が悠々
と流れ、中国文明発祥の地「中原」と言えば、まさにこのエリアを指している。
鄭州は大きな街だがチョッと郊外に出るとその様相は一変する。黄河流域には
横穴式の古代住居や3500年前の殷代遺跡、後漢時代の墓など、古い時代の
ものが多い。それだけに郊外はあまり発展していなくて、原材料を作る工場は
更に奥地に有って、かなり不便な場所が多かった。鄭州の街から何時間も掛け
て舗装していない道を車で走り、ワイシャツの襟や顔は真っ黒になった。車は
口から腸が飛び出しそうなほど揺れ、何回も天井で頭を打った。ホテルで就寝
しても朝まで身体が揺れる感じが残った。そんな出張だったが、絶対に原材料
を見つけなければいけない、と言う使命感があった。入社したときに、当時の
工場長の「原材料を切らしたらクビやからな!」と言う言葉がいつも頭の中に
あったが、今思えば中国のパートナーを始め、毎回出張に同行頂いた今は亡き
グループ会社の貿易部長、繰り返し試験してくれた工場の面々など、多くの方
に支えられて来たから目的が達成できた様な気がする。ここでも改めてオヤジ
は幸せ者だと思うが、そんな中国に今無性に行きたくなっているオヤジである。