私の無線室

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    無線室改装しました。

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2019年12月

2019年12月21日 (土)

鄭州に想い馳せ

卓球のワールドツアー・グランドファイナルが閉幕した。世界ランクでベスト

16の選手たちが競った大会だったが、ここでも中国の高い壁が立ちはだかり

来年の東京オリンピックに課題を残した。今回の話題は、そんな卓球のお話し

ではなく、大会が開催された中国の都市「鄭州」についてだ。鄭州はオヤジが

中国で訪れた多くの土地の中でも特に思い入れが強い土地だ。それは、福井の

工場で最も多く使用する原材料の生産が日本からその姿を消す事になり、ただ

ひたすらなりふり構わずに、その原材料を求めて駆け巡った土地だったからだ。

鄭州は河南省の省都で、古代より交通の要所だった街だ。郊外には黄河が悠々

と流れ、中国文明発祥の地「中原」と言えば、まさにこのエリアを指している。

鄭州は大きな街だがチョッと郊外に出るとその様相は一変する。黄河流域には

横穴式の古代住居や3500年前の殷代遺跡、後漢時代の墓など、古い時代の

ものが多い。それだけに郊外はあまり発展していなくて、原材料を作る工場は

更に奥地に有って、かなり不便な場所が多かった。鄭州の街から何時間も掛け

て舗装していない道を車で走り、ワイシャツの襟や顔は真っ黒になった。車は

口から腸が飛び出しそうなほど揺れ、何回も天井で頭を打った。ホテルで就寝

しても朝まで身体が揺れる感じが残った。そんな出張だったが、絶対に原材料

を見つけなければいけない、と言う使命感があった。入社したときに、当時の

工場長の「原材料を切らしたらクビやからな!」と言う言葉がいつも頭の中に

あったが、今思えば中国のパートナーを始め、毎回出張に同行頂いた今は亡き

グループ会社の貿易部長、繰り返し試験してくれた工場の面々など、多くの方

に支えられて来たから目的が達成できた様な気がする。ここでも改めてオヤジ

は幸せ者だと思うが、そんな中国に今無性に行きたくなっているオヤジである。

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Henang

2019年12月20日 (金)

公私混同の話し

首相補佐官と厚生労働省の女性幹部の出張において、公私混同が問われている。

官房長官の談話によれば、使用経費については公私でハッキリ区別をしていた

と言うことであったが、そもそもこう言った疑惑が起こること自体がおかしい。

オヤジの長いサラリーマン生活においても数々の公私混同を見て来たが、一つ

言えるのは絶対にバレない公私混同はない、と言う事だ。会社のお金をうまく

使って得をした、と思っていてもそれは大勢に影響が無いから誰も口にしない

だけで、必ず見ている人は居る。世の中とはそんなもので、見つからず済んで

しめしめと思うのはオメデタイ。何処かでツケが回って来る事になる。と言う

よりも知らず知らずの間にその人の信用を失う事になるわけで、損失は大きい。

オヤジが、こんな考え方をするようになったのは、両親の教育によるところが

大きいが、もう一つ就職してすぐに当時の支店長の教えがあった。外回りする

者は1日1回、会社に定時連絡をする事になっていたが、携帯電話が無かった

時代、連絡は公衆電話からだった。その1日10円ほどの通信費を、オヤジは

日報で精算しなかったのだ。オヤジの頭の中には日当も貰っているし、僅かな

通信費ぐらい精算しなくても、と言う頭があったがこれを支店長に一喝された。

これも立派な公私混同で、10円ぐらいで会社に恩を売って貰っては困る、と

言われた。こんな些細な積み重ねが、電話代を請求していないから返品された

レトルトカレーや、ゴキブリ取り1つぐらい持ち帰っても良いだろう、と言う

ことにつながり更に段々エスカレートして行くものだ、と説かれた。この事を

オヤジはサラリーマンを終えるまで実践した。おかげで、オヤジが経費を精算

する時、経理から疑問を投げ掛けられた事など一度も無かった。これが個人の

の信用である、とつくづく両親と会社出発点の支店長に感謝するオヤジである。

Rysysy

2019年12月19日 (木)

羨むなら成れよ

先日、公務員のボーナスが支給された。国会を休眠状態の代議士についてその

支給の是非が取り沙汰されたが、オヤジは昔からそれが羨ましい、と思うので

あれば自分も代議士になったら良いだろう、と言う考え方を持って生きて来た。

会社も同じで、昇進がしたければ他人を妬まず、自分もその努力をするべきだ。

会社に辛抱出来なくなったなら、辞めて自分で経営者でも何でもやったら良い。

人間は生まれた時から決まっている運命や、どうしても脱却する事ができない

環境があるが、反面努力をすれば達成させることが出来る多くの可能性を持つ。

サラリーマンよりも公務員が恵まれている、と判断すれば、公務員になるへぐ

努力をしたら良いのだ。それが出来ないなら他人の芝生が青いと羨んではいけ

ない、自分が置かれた環境で妥協すべきである。とかく人間は、他人が不幸に

していれば憐れむところがあるが、逆に人が幸せにしていれば妬ましく感じて

しまう部分がある。今回の事もそんなところから面白く無いのだろうが、高級

取りには高給取りなりに、人知れず大きな苦労があるだろうことをみんな忘れ

ている。それは、その立場を経験してみないと誰も解らない。文句を言うヤツ

は、それらが解った上で文句を言え、と言いたい。人間は分相応に生きるのが

一番良い。人の不幸を願うと必ず自分も不幸になる、と教えられたオヤジだが

良い格好を言いつつも税金、と言う項目を収入にする人達については議員宿舎

の問題にしても年金にしても、チョッとは身を切る改革を実践しても、バチは

当たらない様に思うのだが、如何なモノだろうか?

Knryssk

2019年12月18日 (水)

困った性格だわ

オヤジが、オモチャを中心とした身の回りのモノを処分できない原因の一つが

暴露された。従来よりモノを大切にする性格であることは間違いないが、それ

だけでなく、そこには実に困った性格が災いしている。それは商品を包装して

いる資材までも捨てられないことだ。海産物が入っていた発泡スチロール容器

や、はたまた100均グッズの型決めパッケージなども捨てられない。置いて

おけば何かに使えるだろう、と保存している種類の多い事多い事。家内が捨て

ようとすると「まあ置いておけ!」の言葉が入るので、家内も捨てられないと

言う。どうしてこんな性格になったのか自分でも解らないが、なんでも鑑定団

の北原先生による、オモチャの価値は箱が有るのと無いのとでは随分違う、と

言う話しが今でも頭の何処かに残っているのかも知れない。100均の型決め

パッケージのプラスチックなどは、2液タイプのエポキシ接着剤の混合などに

使用できるが、イザ使用する時には流用できるモノがなかなか無いので、つい

つい置いておきたくなってしまうのである。そんな訳でパッケージ保存だけで

我が家の納戸は一杯だ。整理の段階でその中にモノを入れてしまうと、中身に

何が入っていたのか忘れたまま長きに渡り眠ってしまう事にもなる。お正月を

前に、一大決心をして整理に取り掛かったが、家内が用意してくれたゴミ出し

用の袋には、まだほとんど不要物が溜まっていない。本当に困った性格である。

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2019年12月17日 (火)

ノーベル賞受賞

先日、スウェーデンのストックホルムで、ノーベル賞の授賞式典が行なわれた。

日本からはリチウムイオン電池で功績のあった吉野彰氏が出席されたが、同じ

化学の元研究者としてのオヤジは、足元にも及ばないながら大変嬉しく、また

とても羨ましい。更に、その昔は我々と仕事を通じて普通にお付き合いをして

いた企業のフェロー、と言う立場に親近感さえおぼえる。ごくごく身近にあっ

た会社だけに、オヤジもノーベル賞が貰えそうな錯覚に陥ってしまいそうだが

どっこいそこには天と地ほどの大きな違いがある。それは、本当にいま時代が

また世界が求めているモノをタイムリーに開発させたかどうかの差だ。とかく

研究者は「これ良いでしょう」「これ凄いでしょう」と開発者側から押し付け

る自己陶酔型の開発が多い。言い換えるとマスターベーション型の開発である。

こんな研究開発がほとんどで、オヤジの中では99%以上がそんな感じだった

ような気がする。要不要は顧客が判断してくれる。樹脂の開発において、水に

浮く眼鏡や、最近ミスターマリックさんがハンドパワーです、と宣伝している

様な、鏡体がクネクネになったり、枠が8の字の形に変形しても折れないよう

な樹脂を開発したが、眼鏡が水に浮いてどうなる、枠など8の字にするもので

ない、メリットはごく少ないですね、と評価された。まさにこの点なのである。

開発などと言うモノはこれの繰り返しで、企業を支える二の矢三の矢を見つけ

ることは本当に容易ではない。改めてリチウムイオン電池の凄さに感心すると

ともに、この素晴らしい電池を開発した研究者に改めて心より賛辞を贈りたい。

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2019年12月16日 (月)

鯖のへしこ届く

福井から「鯖のへしこ」が届いた。福井の知人が送ってくれたモノだが、思い

がけない珍味到着に感謝しかない。この珍味、酒好きは知っている人もいるが

全国的に見ると、意外に知らない人の方が多い。それもそのハズ、この珍味は

福井県の若狭地方から丹後半島にかけての伝統郷土食だからだ。日本海で取れ

た新鮮な鯖を塩漬けし、更に糠漬けした発酵食品だ。糠を軽く落としチョッと

火で炙ってやると酒の肴に最高だが、お茶漬けにしてもおいしい。もともとは

越冬の保存食として重宝されたようだ。魚は鯖だけで無く、イワシやフグなど

のへしこもあって、猛毒のフグの卵巣をへしこにすると毒が無くなってしまい

おいしく食べれる様になると言う。また北海道の根室や釧路方面に、サンマを

使った「糠サンマ」があって、こちらは、へしこの調理方法が北前船によって

伝えられた、と言われているが、福井ではやはり鯖のへしこがメジャーである。

へしこの語源は、糠に「へし込む(漬け込む)」と言う方言から来ているそうだ。

オヤジも福井で覚えた珍味だが、ほんの少しでビールが進むのが良い。滋賀県

の郷土料理である「鮒ずし」と同じで、好き嫌いがある様に聞くが、オヤジは

酒飲みではないが、好きになった一人である。お正月には娘婿と、これで一杯

やるのが今から楽しみだ。何よりも福井や北陸を離れても、カニや魚、珍味が

届き、まだ皆さんとつながっている現実がこの上なく嬉しい。仕事を離れると

そのまま疎遠になってしまう人が多い中で、オヤジはつくづく幸せ者だと思う。

この人の輪の「財産」をいつまでも大切にしたい、と思っているオヤジである。

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2019年12月15日 (日)

車の火災に遭遇

ブログネタなどと言うモノは、家の中に引きこもっていては無くなるのは当然

の話しで、こちらから出向いて行けばネタも向こうから飛び込んで来るようだ。

これも散歩中での話しだが、先日そんな出来事があった。少し前に、オヤジが

久々に転倒した場所からその時のことを思い出しながら、車通りを一本それた

閑静な住宅街の道に入った時だった。遠くで鐘の音が混じったサイレンが聞こ

え始め、その音はドップラー効果と言うヤツの影響で段々高い音になって来た。

オッ!これは近いぞ、と思ったのに合わせたように焦げ臭い臭いが鼻を突いた。

更には建屋の影から煙が見えて来た。間違いなく火事だ、と感じた瞬間オヤジ

の足はウォーキングから800メートル走ぐらいの速さに変わった。火災現場

は、四国放送と徳島新聞が同居している放送会館の裏手、徳島県立城東高校の

正門前だった。道路に停められた1台の小型トラックから煙が出ていた。ただ

不思議だったのは、どの様な状況で消防に通報したのか、理解し難い燃え方で

あった事だ。オヤジがサイレンを聞いて駆けつけるまで少し時間が有ったハズ

だが、車はまだほとんど燃えていなかった。それが到着するやいなやオヤジを

待っていたかの様に激しく燃え上がったから驚きだ。更には何を積載していた

のかは判らないが、爆発音がし始めた。場所がら報道関係の人がたくさんビル

から出て来たが、こうなるとガソリンタンクに引火すると大変なことになる。

ほどなく消防隊が到着し、予想した通り全員大きな交差点まで退去させられた。

さすがはプロ、火はほどなく消火され、被害はトラック1台だけで済んだ様だ。

今回、消防のお仕事をつぶさに見せて貰ったオヤジだったが、本当にご苦労様

である。彼らも公務員どこかの公務員と名前は同じだが、一括りには出来ない。

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2019年12月14日 (土)

どん栗田舎論争

過去にオヤジは、福井の仲間たちと数々の「田舎論争」を繰り広げて来た。

福井と徳島が県や市の人口、保有する観光地数などで似かよっていることから

だが、そもそもはオヤジが福井から徳島に帰省する時「田舎へ帰るんけ!」の

一言から始まった。「福井県人に田舎って言われたくないわ!」と言う郷土愛

から旨い物や有名人、はたまた駅前の発展具合まで引き合いに出して競ったが

最後は電車が3社も走り、しかも複線が通っている福井に対して、ディーゼル

機関車のみで、単線しか無い徳島がいつも敗北する形で終わった。そんな論争

にまた一つ徳島が不利になる話題が出来た。それは、徳島唯一の百貨店だった

そごう徳島店が、2020年に閉店ガラガラになる事だ。AEONモールなど

の台頭で顧客が減っている事が原因だが、論争の勝ち負けは別にして徳島から

デパートと言うモノが消えるのはチョッと寂しい気がする。同じ様に、福井も

西武百貨店の新館が2021年に閉館と言うニュースを聞いたが、こちらの方

はまだれっきとした本館が残るのだから羨ましい限りである。こんなドングリ

の背比べ的な論争が出来るのも、オヤジに福井に対する愛着があるからだ、と

思うのだが、何よりも今は、このどんぐり田舎論争をする仲間たちに会いたい。

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2019年12月13日 (金)

見えて来た故郷

Uターンで徳島に帰ってから来年の6月で10年を迎える。本当に速いモノだ。

オヤジが徳島を離れていた42年の間に、徳島の街は大きく様変わりをしたが

毎日歩いていると、それを直接目で見て、肌で感じ取る事が出来る。特に歩き

での目線は、車での目線では解らなかった多くの小さな発見があるのが楽しい。

そんな一つに「広場」がある。徳島の繁華街には幾つかの広いスペースが有り

一応、XX公園と名前が付いている。一般道を車で走ると木々などがフェンス

になってチョッと判り辛いが、歩いてみるとこれが意外に広い。しかし遊具や

ベンチなど公園にあるハズの設備は少なく、有っても移動式の物になっている

事が多い。これらの広場は、阿波踊りの演舞場(桟敷)が設置される場所である。

8月の4日間ほどしか使用しないのにもったいない、と思われるかも知れない

が、徳島の街にとってこれらの何もない公園は必需品なのである。せめてもと

言う事だろうか、いまの季節でも綺麗な花々を咲かせているのが印象的である。

そんな目線で公園に立って見ると確かに良い場所だと思う。全国から観光客を

招いた時、ここが徳島市のベストポジションだ、と言えるような気がするのだ。

そのほか、水際公園の遊歩道でチョッとした「遊び心」を発見した。橋の下を

通る遊歩道のトンネルが、川の水面より低くなっていて、トンネルの壁にある

ガラス超しに水面や水中が見えるようになっている。潮目の状態で完全に水中

トンネルになる事もあり、運が良ければ川に住む魚たちに遭えるかも知れない。

このように、これまで漠然と眺めていた景色を細かく観察しながら歩く楽しみ

を覚えた気がする。季節は段々寒くなるが、これからも街歩きが楽しみである。

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2019年12月12日 (木)

新町川を守る会

オヤジが住む処は、徳島の中心地を含む「ひょうたん島」という区域内にある。

ひょうたん島の名前の由来は、周りが川に囲まれていて地図で見るとさながら

瓢箪の形をしている事から付けられたものだ。ひょうたん島を囲む川は、島の

北部を流れる「助任川」と南部を流れる「新町川」に分けられる。水際公園が

整備された頃は、公園の横を流れる川としては、まだ現在のように自慢できる

綺麗なモノでは無かったが、水際公園が完成した翌年の平成2年にこの河川を

綺麗にしようという非営利組織、いわゆるNPO法人が立ち上がった。その名

を「新町川を守る会」と言い、立ち上げ時のメンバーはわずか10人だったと

聞く。この組織、名前に付けた新町川だけでなく、助任川を含むひょうたん島

を囲む河川を中心として水路のゴミ拾いや、水際公園周辺の清掃、花植えなど

を地道に行って来た。現在の様に、わが故郷を流れる「青い川」として嬉しい

自慢が出来るのは、彼らの絶え間ぬ努力によるところが大きい。市にも正式に

認められており、皆さんの知るところではひょうたん島を一周するクルーズ船

の運航が有名だ。いまの様な季節でも、観光客がある限りボートの運航はして

いて、散歩の途中で見掛けて手を振る事がある。クリスマスにはサンタが乗り

子供たちにプレゼントを届けてくれる。現在はこの団体に賛同するスポンサー

だけで成り立っている様だが本当にご苦労様、と言いたい組織である。せめて

徳島観光に来られた方にはクルーズ船に乗って協力を願いたい、と思っている。

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