私の無線室

  • 28. AT-230
    無線室改装しました。

« 2011年2月 | メイン | 2011年5月 »

2011年3月

2011年3月10日 (木)

石取り闘病記(あとがき)

8日間に渡る病院での生活は、色々な事を学び、考え、反省する時間を与えてくれた。

病室のカード式有料テレビの料金が極めて高かった事がその時間をより増やしてくれた。

病院の管理システムの中に私が会社で是非ともやりたいと思っているシステムがあった。

入院患者の識別と、誤処置防止用のバーコードシステムがそれである。

入院時に患者の手首に取り付けられ退院時には師長にカットをして貰わなくては退院が

出来ない、いわばバーコードIDが記載された樹脂製の腕輪の様なモノだ。

入院中の点滴や薬の投与時、また採血や検尿時には必ず手首のバーコードが専用端末

で照合され間違いを防止している。命を守る為にはミスは許されず、慎重の上にも慎重が

求められる。 間違い防止の手段としては化学工場とて同じではないだろうか?

Tvset Idname

入院中、数え切れないほど救急車のサイレンを聞いたが、これは同時に急病人の発生を

意味する。 平凡な日常生活が維持出来ると言う事が、如何に幸せであるかを実感した。

また、入院中私に拘わってくれた方たちがどれだけ多くいたかと言う事も再認識した。

主治医をはじめ多くの医師たち、看護師たちはもとより薬剤師や病室のメンテの方などを

含めて実に沢山の方のお世話になった。 人間は決して一人で生きていないと言う事だ。

この事を考えると、何故か自然に人々への感謝の気持ちが沸いて来るのが不思議だ。

もちろん、連日病院まで足を運び看病してくれた家内にも十分感謝している。

不平不満を言いながら暮らすのも一生、様々な人に感謝しながら暮らすのも一生!

この入院で日々天井を見つめながら自分の生き方を変えて見ようと思う様になれた事は

ある意味、結石を取り除いた事よりも大きな成果を得た初入院だったかも知れない。

取り戻した健康で、再び頑張ろうと思う60歳のオヤジである。 (完)

Nametag Window

2011年3月 9日 (水)

石取り闘病記⑥

手術翌日のお昼から食事の許可が出た。 バンザイである。

まだ五分粥からのスタートであったが、こんな美味いお粥さんは初めてであった。

食事が出来ると言う事は喜ばしく、健康とは有り難いモノだと改めてつくづく感じた。

手術から2日目の夜には点滴も終わって、腕を自由に動かす事が出来る様になった。

あとは、血液検査の結果が正常値に戻り、退院出来るのを待つばかりである。

術後3日目の朝6時半、看護師さんが目覚まし代わりの採血で部屋にやって来た。

この血液検査の結果で退院が決まるとの話しに、心ウキウキ同時に心ドキドキであった。

この時は黄疸も消え、尿の色も正常に戻っており、自分では元気になった気がしていた。

しかし担当医からは肝機能がまだ正常に戻ってないのて退院許可は出来ないとの通告。

入院時の値があまりにも高くなっていた事から、下がるのにも時間が掛かっている様だ。

更に2日ほどの入院延長が決まったが、嬉しい事に食事がお粥から普通食に変わった。

久しぶりの銀シャリが、ことのほか美味しかった事が今でも印象的である。

普通の食事に戻ってからと言うモノ、更に元気になって回復して行く自分が実感出来た。

そんな中、入院から8日目ようやく退院の日を迎える事になった。

  

2011年3月 8日 (火)

石取り闘病記⑤

ここで手術の状況を細かくお話する事が出来ない。

何故なら安定剤が良く効いて手術中はぐっすり眠ってしまっていたからだ。

安定剤は、酒をよく呑む人や、体質によってはその効果が期待出来ないと聞いていた。

私は最近、昔と比べるとお酒が少し飲める様になり、量も種類も増えていたので心配した

が、私の酒量など麻酔効果を変えてしまう迄には至っていなかった様である。

内視鏡用のマウスピースを取り付けられたところ迄は覚えていたが次に気付いた時には

すでに病室のベッドの上であったのは、この上ない幸せとしか言い様がない。

お陰で内視鏡が総胆管を移動する時の痛みは全く知らずに終わる事が出来たのである。

病室に帰ってからも暫くの間は薬の影響でフワフワした気持ちのよい感覚が続いた。

飯代わりの点滴は相変わらず続き、それに加えて術後の血液検査が増えて私の右腕は

注射針の影響ですっかりその色を変えてしまった。

Tenteki02

夜が来て、安定剤が醒めて少しだけ痛みが来た。 内視鏡が総胆管を少し傷付けている

影響なのだろう。 石が無いので痛みは強烈なモノではないが、鈍い痛みが背中を走る。

しかしながらこの程度の痛みは疝痛の時とは比べモノにはならない。

これも日にち薬で解消されて行くのだろうと思うと、手術の成功が素直に嬉しかった。

  

2011年3月 7日 (月)

石取り闘病記④

入院から3日目、手術の日がやって来た。

絶食のお陰で石が動く事はなく、毎晩安らかな眠りにつける幸せを感じていたが、お腹に

モノが入っていないので元気が出ない。 体重もアッという間に3キロほど減った。

入院したほうがかえって病人になる、と言うのは有る意味この様な事かも知れない。

結石除去手術の方法については事前に医師から次の様な説明があった。

胃カメラ状の内視鏡を口から入れ十二指腸まで進む、十二指腸には総胆管から胆汁が

流れ込む穴があり、この穴から内視鏡は総胆管をさかのぼって結石を取りに行く。

途中、内視鏡の先に付けられたバルーンが膨らみ総胆管を拡げて胆汁が流れ易くする。

更には石の元になる様な泥状の汚れを掻き落とし、総胆管を綺麗にして終了との事。

この手術は麻酔はせず安定剤だけで行うと言う。石が動くだけであれだけ痛いのだから

内視鏡が通ると相当痛いハズである。 実際医師からも痛いと聞かされていたのでその

点だけが正直不安であったが、遂にストレッチャーに乗せられイザ出陣となった。

施術台のお腹の上に当たる部分にはX線カメラが設置されており、内視鏡と共に造影剤

を入れ総胆管の状態を一緒に観察する様である。 先ずはお尻に1本注射を打たれる。

次に腕に1本。 続いてノドの感覚を麻痺させる液体が口から注入され内視鏡を入れ易く

する為のマウスピースが取り付けられた。 さあいよいよ手術の始まりである。

Naizozu01

2011年3月 6日 (日)

石取り闘病記③

私の初めての入院生活が始まった。

今までお見舞いで病室を訪れる事はあったが、自分が病室のベッドに寝る事になるとは

正直思っても見なかった事である。

入院など経験しないに越した事は無いが、入院したからには充実した入院生活を送って

やろうなどと考える余裕が、まだこの時にはあった様な気がする。

実際、入院時にはお腹の痛みも無く診断結果も明らかになった事から少し安堵した自分

が、そこにあった。 こうなれば健常者と同じで、病室はホテルの部屋と大差は無かった。

記念に1枚などと思いながら、デジカメで病室内を撮影したりする余裕もあった。

しかし、すぐに自分は病気で入院したのだと言う事を思い知らされる事になる。

入院した翌々日に石の除去手術をする事が決まったが、入院から手術日の翌日までの

延べ4日間は完全絶食と言う指示が医師から下されたのである。

食事により総胆管が収縮し石が動くのを防止する為であるがこの間の栄養補給は点滴

だけになった。 しかもその量たるや半端ではない。

朝早くから始まり就寝前まで、数え切れないほどの樹脂容器がドンドン空になって行く。

本当に効くのかどうか知らないが、昔の会社で給料の源になった点滴も幾つかあった。

しかし、点滴ではお腹の足しにはならない、食べられる事の有り難さを痛感したのである。

段々と活力が無くなって、本当の病人の姿になって行く自分がそこにあった。

Nisseki03_2 Nisseki02 Tenteki01 

2011年3月 5日 (土)

石取り闘病記②

今回は自分の体に起こっている事態が深刻な事が判って、ついに入院を覚悟したモノの

こんな時、正直仕事持ちは辛い。 ついつい日々の業務の事を心配してしまう。

しかし、社長からは「完治するまで出社に及ばず」、と言う有り難いお言葉を頂いた。

また、私の場合は幸せな事に優秀な部下が多いので、こんな時には随分助けられる。

関係各位に状況報告と、入院した際の代行業務のお願いをして病院へと向かった。

徳島にも大きな病院は幾つかあるが、私は小松島市にある徳島赤十字病院に決めた。

理由は設備が充実している事と、細分化された形で専門の医師が多いからである。

大きな病院の初診は手続きが大変で、随分待たされたが昼頃になって私の順番が来た。

高齢化社会になり、病気治療に来る人たちがいかに多くいるかと言う事を改めて感じる。

血液検査とCT撮影の結果、やはり総胆管に結石が確認され予想通りすぐ入院となった。

肝臓で作られた胆汁は総胆管を通って十二指腸に送られるが、その道筋で石が流れを

堰き止めている為、胆汁が逆戻りして血液中に入り、黄疸を引き起こす事になった様だ。

幸いにも胆嚢の方は、相変わらずサイレントストンで今回も悪さはしていないとの診断だ。

しかしながら、医師から知らされた肝機能の数値は、過去の定期検診では見た事がない

様な桁違いの値になっていたのには驚いてしまった。

その後、処置室で点滴を開始したまま8階にある消化器科の入院病棟へと運ばれた。

Nisseki01

2011年3月 4日 (金)

石取り闘病記①

いやー参った参った。

60年間生きて来て、還暦の年に初めての入院を経験する事になってしまった。

私は以前から胆石持ちで、何年か前のエコー検診でも胆嚢に直径4センチほどの大きさ

の石が確認されている。 石が大きくなる前には疝痛と言われるお腹の痛みを経験した事

もあったが、その後ずっと痛む事は無かった。俗に言うサイレントストンと言うヤツである。

医者からは1個の大きな石の場合には、一生うまく付き合って行く人も多いと聞いていた。

しかし、次に石が動いた時には胆嚢炎を起こす可能性が高く、その時には切除しなくては

手遅れになると命取りになる危険性がある、と言う事も同時に聞いていた。

その心配していた痛みが、ついにやって来た。

2月の中旬頃から夕食の後、頻繁に疝痛が起こる様になった。

昔は、横になって安静にしていたら、数時間で治まったが、今回は通り過ぎる迄が長い。

夜の8時頃から始まって、朝の6時頃まで、10時間ぐらい痛みに耐える日もあった。

その内に夕食後だけではなく、食事をする度に痛みがやって来る様になった。

そんなさなかトイレに行った時の事、放尿中突然尿の負荷がスウッ~と変わった。

慌てて便器を見てビックリ、尿の色がビール瓶の様な濃い褐色になっていたのだ。

直ぐに、鏡で目の色を見て更に驚く。 白目が黄色い! 既に黄疸が出ていたのである。

いくら医者嫌いの私でも、出血や黄疸があったら体がヤバイ事はすぐに判った。

ついに観念して、早急に病院に行く事を決めた。