私の無線室

  • 28. AT-230
    無線室改装しました。

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2010年12月

2010年12月31日 (金)

大晦日の朝に ...

2010年の大晦日の朝を迎えた。

テレビのスイッチを入れると、最初に飛び込んで来た道路交通情報に驚いた。

帰省客で混雑する中、四国自動車道が各所で雪のために通行止めになっているとの事。

窓のカーテンを開けてビックリである。 道路には、うっすらと積雪が見られる。

徳島のシンボル眉山のお山も、登ったばかりの太陽に照らされて白く輝いている。

しかし、ワシントンパーム椰子を背景にしての積雪には違和感があり、全く似合わない。

もちろん、福井で体験した雪からすると、騒ぎ立てるほどの積雪ではないが、放射冷却の

影響で気温が下がり、路面がバリバリに凍結している様だ。

正直、雪の量が少なくても、このバリバリの凍結状態が、車にも人にも一番危ない。

特に南国徳島では、この様な時にスノータイヤを履いている車はほとんどいない。

福井に行って初めて知った事だが、雪国の人と普段履いている靴の底の構造も全然違う。

台風にはそこそこ備えは出来ているが、不意打ちの天候にはモロい一面をもっている。

間もなく新年を迎えようとしているこの時期、事故が無い様にと、願うばかりである。

幸い、雪はすぐに南国の太陽によって溶けたが、四国がこんな状況なら日本海側は本格

的な雪になっているだろう。 雪のハンディは大変だと改めてつくづく感じる大晦日である。

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今年も、小生のお粗末なプログをご愛読頂きまして誠にありがとうございました。

来る2011年も引き続き宜しくお願い申し上げます。 皆さん良いお年をお迎え下さい。

  

2010年12月29日 (水)

イルミネーション

インドの旅のお話しで、ご紹介の時期を少し逸してしまったが、徳島の街はクリスマスの前

から至るところでLEDによるイルミネーションが冬の夜を楽しませてくれている。

青色LEDが開発されて以来、その色彩に幅が出来て一段と綺麗になった感じがする。

日亜化学が徳島の企業であるからと言う訳ではないだろうが、公的・私的を問わずに徳島

の街は、特にイルミネーションが盛んな様な気がする。

私の住まい近くの「ケンチョピア」に停泊するヨットやクルーザーも帆やマストをLEDライト

で飾り、日没の頃から毎日点灯されるので、とても綺麗である。

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実家の近くには個人で毎年大掛かりなクリスマス用のイルミネーションを設置するお宅が

あり、新聞にも紹介された事から、毎年遠くからでもたくさんの方が見学に来るらしい。

私も今年初めて見させて貰ったが、本当に素晴らしく十分感動する出来映えだ。

個人で準備し、毎年期待されるとなると本当に大変だろうと、ついこちらも心配してしまう。

しかしながら、本当に気持ちの和む提供であり、鬼が笑うがまた来年が楽しみである。

今年も残り少なくなったが、新しい年2011年は、イルミネーションを見た時の様な和やか

な気持ちで過ごせる1年にしたいモノである。

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2010年12月28日 (火)

天竺は遠かった⑧

インドでの滞在を終えて、予定通りムンバイ空港から帰路についた。

出発時間はインド時間の23時、日本時間では午前2時半になる。

シンガポールの時も、ハワイの時もそうであったが、日本時間の深夜に出発しても機内で

一眠りすると朝には日本到着と言う旅程が多かったが、今回はそんな程度ではない。

タイのスワナプーム空港には日本時間7時に到着、その後関西空港行きの便が出発する

のは日本時間の13時、つまりバンコクの空港で6時間のトランジットである。

幸いにもタイのスワナプーム空港は24時間空港で、何時に到着しても空港の施設は全て

通常通り営業しているので、免税店もラウンジも不自由はなかったが、時間は余り過ぎる。

帰路はタイ航空のラウンジが使用出来たので、この時間を利用しパソコンをインターネット

に接続してメールや日次の業務をしていると、いつの間にか出発時間が近づいて来た。

関西空港行きの便の搭乗口まで来ると、ようやく日本人の顔が多くなり少しホッとする。

スワナプーム空港は、搭乗口の待合い室に入る前に搭乗券とパスポートの検査を済ます

システムであり、搭乗開始の時にはゲートが開くだけて何のチェックも無いので楽である。

タイ航空672便、B-777型機は定刻にバンコクのスワナプーム空港を後にした。

さあ、あと5時間で、日本に帰れる!! これがこの時の素直な実感であった。

初めて長時間のトランジットもあり、今回は本当に「天竺は遠かった」と感じる旅であった。

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2010年12月26日 (日)

天竺は遠かった⑦

インドでの日程を順調に消化し、帰国の日をむかえた。

帰国日と言っても飛行機の出発は夜の23時、そこでムンバイ市内での最終業務の後に

お客様のご厚意で近郊の有名な場所を車で案内して戴く事になった。

ここで私は、現在のインドの表と裏、2つの面を併せて体験する事になった。

まず最初に驚いたのは、路上生活者が今でもまだたくさん居た事である。

ムンバイ市内の一部の歩道上を占領し、粗末な小屋を建てて生活し、行き交う人々から

施しを貰っている姿は、悲しいモノがある。 中国でも「乞食」の姿は時折見掛けることが

あるが、この様な広範囲での路上生活者の姿を私はまだ見た事が無い。

中国での体験は、私がものごころついた頃に戦後日本の名残として何処かで見たような

ある種の懐かしさを感じるが、インドのそれは今まで全く体験の無い強烈なモノである。

しかも、彼らが一般の人達と同じ場所で共存しているのが、実に不思議に目に映る。

そんな地域を過ぎて、次にムンバイでも有名な「共同洗濯場」を橋の上から見学した。

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汚れた川の水で洗っているのに、干し物が意外に白いのが、これまた不思議であった。

これが普通の洗濯場と言うのだから路上生活者の暮らしぶりが少しは想像頂けるだろう。

次に、インドが英国の占領下にあった頃、英国王夫妻の訪問を記念して建てられたインド

門を見学したあと、インド門の正面に建つ、タージマハルホテルに入ってみた。

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このホテルは2008年にテロ火災で一部が焼失したが、現在では綺麗に復元されていた。

ここでも厳しいセキュリティチェックを受けたあと、内部に入る事を許されるシステムだ。

ロビー、プール、客室、レストラン、ブランドショップなどが、素晴らしく一段と際立っている。

欧米人と日本人の宿泊客が多かった様だが、ここにマハラジャの世界のインドがあった。

様々な印象を残し、私の2回目のインドの旅も終わりに近づいた。

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2010年12月25日 (土)

天竺は遠かった⑥

海外出張の楽しみの1つは、食事である。

出張した国の食事が口に合わないと随分苦労すると言う話しを聞くが、幸い私の場合は

今までの出張国では、苦手で食べられない様な料理には出会っていない。

今回のインド料理も全く問題ない。  2001年の時もカレー料理が連日続いたが、すべて

違う種類のカレー料理で、出張期間中まったく飽きなかった事を覚えている。

そのくらい本場インドのカレーは、その種類が実に豊富である。 

一般的な黄色いカレーだけではなくて青豆やホウレン草を食材とした緑色のモノもあって

ナンやサフランライスにつけて食べるインドの「おかず」、総称をカレーと言っても過言では

ないだろう。 特にインドは暑い国なので、スパイシーなカレーは人々の食欲をそそる。

本当に気候と食べ物の関係は、生まれるべくして生まれたモノだとつくづく感じてしまう。

そんなインド料理のスタートはパパドをおつまみにして、キングフィッシャービールからだ。

パパドとは、豆粉から作った薄く丸い板状の生地を直火であぶったセンベイの様なモノで

塩味と、独特のスパイスが、インドを代表するキングフィッシャービールと実に良く合う。

特にインドのビールは良く冷えていて、渇いたノドを潤す至福の一杯となる。

その後は、多数の種類の中からお好みのカレーをナンと細長い品種のライスで食べる。

もちろん、インド料理の定番、タンドリーチキンやカバブも本場の味を味わう事が出来た。

この鶏は段取りに時間が掛かっているのでダンドリチキンだ、など冗談も出て話しが弾む。

インド人の様にゆっくりと、時間を掛けて食事をし、最後もインド人のまねをして、お口直し

にフェンネルと呼ばれる、茴香(ウイキョウ)をカラフルな砂糖でコーティングしたデザートも

試してみたが、これは正直なところ挑戦しなかった方が良かった様だ。

しかし、日本時間で夜中の2時半頃にビールを飲みカレーを食べる経験は、インドより遠く

に旅をした事のない私にとっては奇妙な感じであった。

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2010年12月24日 (金)

天竺は遠かった⑤

ところ変われば何とかで、地酒やタバコ、コーヒーの味などは、世界中で随分違う。

特に嗜好品は、その国独特のモノが存在するので、なかなか興味深い。

皆さんよくご存じの、東南アジア各地の嗜好品に「檳榔(ビンロウ)」と言うモノがある。

Binlang

手の指先第一関節までほどの大きさのヤシ科の実、檳榔に少量の石灰を挟んでキンマ

と言うコショウ科の植物の葉に包んで、噛みタバコの様に口に入れる。

しばらく噛んでいると、唾液と反応して口の中が真っ赤になって来る。

彼らは、お行儀悪くこれを道端に吐き出す為、路上に血を吐いた後のような汚れを見掛け

られた経験をお持ちの方も多いのではないだろうか?

今回インドで更にスペシャリティなビンロウのスタイルを見学する事が出来たので、画像と

共に紹介してみたい。インドでは「パン」と呼ばれ、キンマの葉にビンロウを包むスタイルは

同じであるが塗布するモノ、トッピングする材料が極めて多く、しかもどれもみな妖しい。

これらの材料が、合法なのが違法なモノなのかも全く判らない様なシロモノである。

食べたら気分が高揚したり、覚醒作用や軽い酩酊状態があると言うのだから、決して良い

モノではない様な気がする。 愛用する人らを良くないヤカラと見ている人達もいる様だ。

また、ビンロウの愛好者は、舌ガンなどの発生率が高くなる事が報告されているとも聞く。 

写真を撮っていたらインド人から、一度試食をする様に執拗に勧められたが決してこれに

は、応じなかった事は改めて言う迄もない。

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2010年12月23日 (木)

天竺は遠かった④

翌日からインドでの仕事が始まった。

中国と違ってインドの化学工業は一部の地域に工場が集中して存在している。

特に有機合成の工場はインドの西地区、ムンバイから沿岸沿いに北上した地域に多い。

地域名で言うとグジャラート州と言う地域で、この州は宗教的に禁酒地区になっている。

酒を提供する店が無く、酒好きの外国人が旅行すると結構苦労すると言う話しも聞く。

初日の目的地はムンバイから車で、北に200km程にあるグジャラート州の街だった。

インドの道路事情は中国と比べるとかなり遅れている。

10年ほど前は、インドも中国も道路事情には大差が無かった様に記憶しているが、この

10年で中国の道路整備は目を見張るほど発達し、今もなお拡大を続けている。

それに比べるとインドは、車の台数が異常に増加しただけの様に感じられる。

有料道路はあるが、お世辞にも高速道路と呼べる様な道では無く、一般道のレベルだ。

そのくせ化学工場が集中しているために、一般のコンテナ、ISOコンテナ、トラックなどの

原材料と製品を輸送する関係の車で道路は、早朝から深夜まで大渋滞である。

朝の6時にホテルを出発し、工場に行って商談し、ホテルに帰ったのは夜の8時であった。

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2010年12月21日 (火)

天竺は遠かった③

インドのホテルのセキュリティーは極めて厳しい。

いや、厳しくなったと言った方が正解だろう。 2008年にムンバイのタージマハルホテル

で起きたテロによる火災以降、各ホテルともチェックが異常なほど強化されたと聞く。

車が到着すると、昼夜を問わずミラーで足回りを確認してからゲートを開ける。

その後、宿泊客も訪問客も全て空港にあるのと同じ様な金属探知器のゲートを通る。

荷物は、別にX線検査のベルトコンベアを通して確認されると言う念の入れ様である。

しかも、一度ホテルにチェックインすれば、あとはOKと言うモノではない。

何回かチェックを受けて警備員と仲良くなっても、また飴をあげても見逃して貰えない。 

ホテルに入るたびに同じ様なチェックを受けなくてはならず、少々閉口してしまう。

しかしながら自動小銃を持った警備員ににらまれながらのチェックは本当に迫力がある。

平和ボケしている日本では味わう事の無い緊張であった。

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2010年12月20日 (月)

天竺は遠かった②

長い空の旅を経て、無事にインドに入国した。

実質飛行時間は日本からタイまでは約6時間、タイからインドのムンバイまでは約5時間

であるが、日本時間の午前11時に関西空港を出発し、ムンバイ空港(旧ボンベイ)に到着

したのは日本時間で翌日の深夜1時半、約13時間半の往路の旅になった。

インドと日本との間には3時間半の時差がある。 インドの方が日本よりも3時間半遅れて

おり、我々の到着時刻はインド時間ではまだ前日の22時である。

インドは日本と比べると食事の時間が遅く、昼食は13時頃から、夕食に至っては21時頃

から始めて、ゆっくりと楽しむ様で、到着時刻の頃は夕食時の真っ最中と言う事になる。

そこで、我々もご多分に漏れず、ホテル到着後に軽い宴会とあいなった次第である。

結局、初日の就寝は日本時間で午前4時、いつもは眠れないジジイもさすがにすぐ眠りに

落ちたのである。

2010年12月19日 (日)

天竺は遠かった①

師走のこの時期になってインドに出張した。

私にとってインドは2001年以来2回目であり、久しぶりの訪問になった。

以前は関西空港から全日空の直行便があったが現在は無くなってしまっていて、今回は

タイ航空を利用して、バンコク経由でのフライトになった。

国際線のトランジットは時間が長くて、今回往路は3時間、復路は何と6時間の時間待ち

をバンコクのスワナプーム空港でする事になった。

本当に「天竺は遠かった」と、つくづく実感した旅であったが、しばらくの間インドへの旅行

レポートでお付き合いを願いたい。

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