私の無線室

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2010年4月23日 (金)

我があゆみ歴記26

親分肌だった当時の大阪工場長は、本社の会議などに出席すると 「大阪工場が請けんと

どこもせんやろ?!」 と、他の部署が引き受けるのを渋る様な仕事でも積極的に引き受け

て来るところがあった。 当時、単体販売していたニューセラミック製ミクロ繊維の川下展開

として、エンジニアプラスチックと混ぜて樹脂の改質を目的とした複合材料を販売する計画

があったが、まだ小規模開発段階の業務であり、社内で生産を請ける部署は無かった。

ある日、工場長は会議でこの仕事を引き受け、意気揚々と大阪工場に戻って来た。

どうするのだろうかと思いきや、ちょうど一連のコンピュータプログラムを終え、一息ついた

ばかりであった私の次の任務として、この仕事をする様にと命令を受けたのである。

まさに何でも屋である。 一時はもうダメかなと言う様な時期があった事を思ったら、次々と

タイムリーに、しかもバラエティに富んだ仕事に出会い、ある意味私は幸せであった。

私の仕事としては、自社で製造する事に備えて、事前に外注加工を確立させる事だった。

ナイロン、ポリアセタールなどの樹脂に配合して、混練押し出し機で複合材料のペレットを

作り、営業が販売出来る品質の製品に仕上げてコード化して行く、と言った仕事である。

私は頻繁に外注先に通い、混練機の操作と混練の技術を学んで、製品を作って行った。

この仕事も全く初めての経験であったが、この担当は数年に渡って続けられたので、また

しても私の中で、新しい技能を身に付ける事になった。

製品化して行った複合材料は営業の努力で、徐々にその販売数量を増やして行った。

製品の特徴としては樹脂単体の時と比べて成型収縮率、いわゆる「ヒケ」が少なかったり

摺動性、つまり摩擦が減って滑りやすくなる性質が向上するなどの点があり、樹脂加工の

様々な分野に、メリットをもたらして行った様である。

そんなある日、新しい複合材料の企画として、めがね枠用途の話が飛び込んで来た。

それまで樹脂製の枠と言えば、セルロイド製の様な太いモノしか無かったが、金枠の様な

細い枠を樹脂で出来ないか? と、言う要求事項であった。

私は、すぐさまこれの試作に取り掛かったが、この企画が私のその後の人生を変えること

になろうとは、その時は考えもしなかったのである。 (つづく)

 

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