大恩人が旅立つ
オヤジのもとに、昔の会社のOB会中止の案内状が届いた。同時に、オヤジに
とって重要なお方の旅立ちの知らせでもあった。今は無き大阪工場勤務時代に
工場長だったお方で、現在のオヤジがあるのは故人のお陰だ、と言っても過言
ではない。当時大阪工場は、旧大淀区(現中央区)中津にあって、注射液用の
アンプルを生産していた。工場は故人の指揮のもと何事も一つになり合理化を
目指した。「これ出来るか?」「やってみい!」「難しい事はええ、ポーンと
スイッチを押したら答えが出るようにせえ!」しか語らなかったような記憶が
あるが、何事にも理解を示し、仕事を任せてくれた。本社関係からの風向きが
悪い時には身を挺して庇ってくれ、功績はオヤジにくれた。退職後、勤続年数
の関係でOB会員としての資格をとやかく言われた際、いまでも化学品事業の
柱になっている製品開発に携わった当事者に、会員資格を与えなくてどうする
とオヤジを加えてくれたお方でもある。そんなお方の旅立ちは実に悲しく辛い。
しかし昭和と言う時代を、一生懸命駆け抜けた想い出は消えない。オヤジの中
では平成という時代を駆け抜けた際にも、同じようなタイプの工場長に出逢っ
ている。色々なことがあったが、ある意味幸せな会社勤めをしたかも知れない。
時の流れとともにアンプルの生産は無くなり、工場跡地も駐車場と化している。
何かまた、一つの時代が終わった気がする。今は故人のご冥福をお祈りしたい。
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