人生をかえた人③
人生をかえてくれた人3人目は、オヤジが最初に就職した会社の大阪工場長だった。
7年間勤めた営業を外して欲しい、と人事考課の希望欄に書いた。 営業を外れれば
地元の工場勤務になるだろうとの甘い考えだったが、結果赴任先は大阪工場だった。
今は無き大阪工場は、当時注射液のアンプルを製造するガラス工場で、工場の中は
夏は50℃、冬でも30℃ある様な環境だった。 そんな工場でオヤジは明けても暮れ
ても原料のガラス管の受け入れと洗浄作業を行った。 正直もう終わったなと思った。
名古屋支店時代から、実績は ずっと達成して来ていたオヤジだったが、大阪営業に
転勤になり、その販売数量の違いにカルチャーショックを受け、上司との人間関係も
あって希望を出したので仕方なかったが、チョッと寂しさを感じ始めたころだった。
工場長から1つの制御盤の図面を見せられ、これを組み立てられるか?と問われた。
オヤジが出来ます、と答えて以降どれだけの制御盤を新設・複製・改良した事だろう。
大学時代に師匠の一言で代わったアルバイトが、役に立った事は言うまでもない。
この事以降には、パソコンのプログラム開発、複合材料の開発など全てが任された。
専門ではなかった分野の仕事も、次々にオヤジの下に飛び込んで来る様になった。
1つの大きなテーマの仕事が終わるたび、オヤジの肩書きは次々と変わって行った。
何事においても、「やって見い!」、の一言から始まった。 この時から専門以外の事
でも、努力すれば出来るのだ、会社に入ってからが勉強なのだ、と言う事を教わった。
その後、紆余曲折を経て現在に至っているが、1つ前の会社でも同じ様な事があった。
やはりオヤジはターニングポイントで、「やって見い!」と言ってくれる人に人生をかえ
てもらっている幸せな男である様だ。