私の無線室

  • 28. AT-230
    無線室改装しました。

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2015年8月

2015年8月27日 (木)

アンテナ到着する

少し前になるが先週の土曜日、注文していた無線のアンテナが届いた。

先週の中頃アマゾンに発注していたモノであるが、発注後の連絡によると現在在庫が

無いのでしばらく日数が掛かるとの事であった。  この分では今週の出張中に届けば

良いと思っていたところ、通常在庫が有る時の納期と変わらない日数で到着した。

価格は思った以上に安く、配送料も無しで、顧客満足度は合格点だ。 

最近アマゾンや楽天などのネット通販利用者が大幅に増加している理由が解る。

今日のニュースで言っていたが、都会ではスマホで発注すると在庫を持っているモノは

最短10分から15分で専用配達人が届けてくれると言うことだ。

スマホのGPS機能から依頼人が待っている場所を特定して配達するそうだが、モノに

よっては、少々お高くても生き金を使う事になって、お値打ちな気がする。

商売の方法も変わって来た様であるが、やはり人のしない事を考えで行かないと今の

時代は行き延びで行けないのかも知れない。 いずれにしろ便利になったものである。

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2015年8月14日 (金)

2015 阿波踊り

8月12日から徳島市の阿波踊りが始まった。  気が付けばもう今日で3日目、明日は

最終日だ。 ご存じで無い方も多いが徳島の阿波踊りは8月12日~15日迄の4日間

だけではない。 渦潮で有名な鳴門市の阿波踊りは、8月9日~11日迄の3日間開催

される。 また野球で有名になった池田や県中部の吉野川市などは8月14日~16日

まで時期をズラして行われるのである。 もちろん地方の阿波踊りは、徳島市のモノと

スケールが違うが、踊り好きの者にとっては出来るだけ長い期間を踊っていたいようで

鳴門市の踊りからスタートし、徳島、池田などを廻ってシーズンを終えると聞いている。

それでも物足りない者は東京の高円寺などに出掛けて踊る連(チーム)もある。

いずれにしろ8月15日の最終日が終わると徳島の街は急に寂しくなる。

阿波踊りの初日は20万人足らずの街に約45万人の見物客が訪れたと報じていた。

例年4日間で延べ120万人を越える人出がある事から、俗に言う「祭りのあと」は本当

に寂しくオヤジも嫌いである。 特にこの頃から日が短くなり気温も少し下がり始める為

余計感じるのかも知れない。 いずれにしろ今年も南国の暑い夏が終わろうとしている。

明日15日の最終日はオヤジも街に繰り出して、夏の終わりを楽しみたいと思っている。

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2015年8月 8日 (土)

いま8月に想う ④

そんな自慢の父親も既に90歳。 優勝当時の5年生(現3年生)メンバーとしては唯一

の生き残りになってしまっている。 オヤジにとって自慢出来る事がもう1つある。

それは少し前に亡くなったが当時の徳島商業の優勝投手も義理の叔父であった事だ。

当時の同級生同士が、その後何年かして偶然にも私の母親と叔母(母親の妹)とそれ

ぞれに結婚したからである。  つまり同級生同士が義理の兄弟になったと言うわけだ。

1点差ゲームを勝ち抜くだけあり、長身から投げ下ろす角度のある速球と、昔ドロップと

言われた縦のカーブは、なかなか打てなかったと父親からも聞いている。

そんな環境で育ったオヤジが、野球を好きにならない訳が無かったが、クラブで野球を

する事は絶対に許して貰えなかった。 父親自身が苦労しているからだと今ならわかる

が、当時はとても悔しかった事を覚えている。

今年の甲子園大会も様々なドラマが生まれる事だろう。色々なドラマを作れるのも若さ

の特権だ。 少しぐらいハメをハズしても許されるのも若さの特権かも知れない。

ただ僅か70年ほど前に自由に好きな野球が出来なかった時代が有った事を若い人に

は少しでも解って頂きたいと想う。 好きな野球が出来る幸せを噛みしめながら、新しい

歴史を作って行って欲しいと願うオヤジである。(完)

Shinbun05

2015年8月 7日 (金)

いま8月に想う ③

徳島商業の優勝までの道のりは決して楽なモノではなかったと聞いている。

当時も、海草中学や水戸商業、平安中学や広島商業などの名門校と言われる学校が

出場していた事も理由の1つだが、何より四国大会を勝ち抜くのが大変だった様だ。

当時は1県1校の出場ではなく、徳島県で優勝しても高松商業や松山商業など四国の

強豪校に勝たないと甲子園には行けなかったからである。

そんな予選を勝ち抜いて出場した全国大会は今では想像できない大会であった様だ。

甲子園球場には、「勝って兜の緒を締めよ!」 とか、「戦い抜こう大東亜戦!」 などの

戦時色濃い文言が並び、場内放送では「○○県の××さん至急ご自宅にお帰り下さい!

おめでとうございます。召集令状が届きました。」などの放送も頻繁にあったそうだ。

選手のユニフォームからは敵国の文字が消えて、全て漢字表記になったと言う。

野球用語もストライクが「1本」、ボールが「ダメ」など、窮屈な試合だったと聞いている。

そんな中、徳島商業は全て1点差ゲームをモノにして決勝戦まで勝ち進んだ。

決勝では名門の平安中学(現 龍谷大平安高校)と対戦、最後は連投で疲れの見えた

名投手、富樫投手から選んだ四球が押し出しサヨナラの決勝点になったそうである。

そんな優勝で得た優勝盾も戦争で消失して、親父らの記念品と言えば試合終了時に

審判から当時の主将に手渡されたボール1個だそうだ。 このボールは、現在甲子園

球場内の歴史資料館に展示されている。

Yusyou

Tokusyo

Ball

2015年8月 6日 (木)

いま8月に想う ②

全国高等学校野球選手権大会の歴史を見ると、昭和16年から昭和20年までの5年

間は「戦争中につき大会は中止」、と記録されている。 

確かに昭和16年の第27回大会は、日中事変のため予選の一部と本大会が中止に

なっている。 また、昭和18年から昭和20年の3年間、大会は完全に中止された。

しかし、中止されたと言われる中で昭和17年の大会だけは予定通りに行われていた

事実を知る人は少ない。 一時は中止と決めたものの戦況が激しくなる中で戦意高揚

を目的とし、文部省管轄の大日本学徒体育振興会が主催して行われたそうだ。

大会の主催者が朝日新聞社から他に替わっただけで長い高校野球の歴史の中から

消し去られてしまったその大会で我が親父の徳島商業は全国制覇を成し遂げたのだ。

Kumiawase

2015年8月 4日 (火)

いま8月に想う ①

8月に入った。 梅雨明け以降連日猛暑日が続いている日本列島である。

そんな中、全国高等学校野球選手権大会も地方予選が終わり、6日からはいよいよ

阪神甲子園球場で本番を迎える。  今年は大会が始まって100周年の記念の年と

言う事でマスコミ関係でも例年以上の盛り上がりを見せ、テレビなどでは各社様々な

特番が組まれている様である。 NHKでも「我がふるさとのベストゲーム」と銘打って

各都道府県の印象に残る試合をゲストとともに振り返る番組が放送されている。

徳島県は8月1日に放送があったが、内容と言えば、故蔦監督が率いる池田高校が

打って打って打ちまくって優勝した事に終始した。 これはこれで徳島県人としては嬉

しい事なのだが、昭和17年、戦争が激化する中でひっそりと優勝した徳島商業の事

が取り上げられないのは寂しい気がする。 長い歴史の中で確かに戦争で中断した

期間は有ったが、昭和17年の1年だけ朝日新聞の主催から文部省の主催に代わり

大会は行われた。 その大会が朝日新聞の記録の中では「戦争により中断」と記され

ているのは、その大会で優勝した選手を父に持つオヤジとしては実に悔しいのだ。