私の無線室

  • 28. AT-230
    無線室改装しました。

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2009年6月

2009年6月24日 (水)

韓国旅行回想記⑤

さあ、いよいよJSA(共同警備区域)の見学が始まった。

2列に並び列を崩さない様に注意しながら進んだ。 やはり緊張がひしひしと伝わって来る。

自然に見学者から白い歯が見えなくなった。 最初に施設全体が見渡せる展望台に登る。

ニュースなどでよく見掛ける建家が並んでいる。 北朝鮮側の監視所や、北朝鮮側からここ

を見学する時に利用する施設の「板門閣」が目の前にある。  監視所の窓からは、北朝鮮の

兵士が双眼鏡でこちらの様子を窺っているのが判る。  思わず指をさしそうになり、挙げかけ

た手を引っ込め、頭を掻いてごまかした。 いやいや銃弾が飛んで来ては大変である。

Panmunjom11 Panmunjom13 Panmunjom15 Panmunjom14

展望台を降りて、次は南北の話し合いが行われる停戦軍事委員会会議場に入った。

会議場は南北に長い建物になっていて、ちょうど建物の真ん中を軍事境界線が通っている。

見学者は、この会議室の中だけ軍事境界線を越えて、北朝鮮側に入っても良い事になって

いる。 境界線の北側の窓からは、時々北朝鮮の警備兵が会議室をのぞき込んで来る。

外を眺めていると、急に窓ガラスを挟んだ距離で兵士と顔が合ってしまい驚いた。

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その後、見学バスに乗車して、斧蛮行事件の原因になったポプラの木跡や、朝鮮戦争後に

南北の捕虜を交換する際、一度行き先を北か南に決めたら二度と帰る事が出来ないと言う

事から名前が付いた「帰らざる橋」を見学し、最後に高台から北朝鮮側の町を遠くから眺め

このツアーを終えた。

Panmunjom27 Panmunjom28 Korea_0210075 Panmunjom20 

帰り路、韓国の人が普通に訪れる事が出来る最北端である臨津閣(イムジンカク)で参加者

全員でプルコギの昼食をとった。 これが結構イケる味であった。

ここは鉄道の線路が南北に通っているにもかかわらず、寸断された壁には有刺鉄線が張り

巡らされ、統一を願う文字が書かれた布が悲しく絡み合って揺れていた。

望拝壇と書かれた石碑に供え物をし、涙を流しながら北に向かって泣き叫ぶ老婆もいた。

ある日突然国が分断して、肉親が離ればなれになってしまい、今もなお軍事態勢にある国と

平和ボケした日本との大きな違いを考えずにはいられないJSAの見学ツアーであった。

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2009年6月23日 (火)

韓国旅行回想記④

韓国旅行の最終日は、板門店の見学ツアーに参加した。

板門店の見学は専門旅行社のツアーを利用しなければ、個人で行く事は出来ない。

予約は韓国到着の日に、ロッテホテル2階にある見学専門の受付で済ませておいた。

参加者は30名、米国籍のご夫婦が参加されていた以外ほとんどが日本人である。

一般に「板門店ツアー」と言っているが、実際には「DMZツアー」と「JSAツアー」の2つの

コースがある。 DMZとは(De Militarized Zone)の略で「非武装地帯」の事である。

また、JSAとは(Joint Security Area)の略で「共同警備区域」と言う事である。

今回我々が参加したツアーは正式にはJSA(共同警備区域)の見学と言う事になる。

出発してから約1時間、バスは専用道路の入り口にあたる「統一大橋」に到着。

Panmunjom01   

ここでMP(憲兵)2名がバスに乗り込んで来た。 全員パスポートを提示し検問を受ける。

ここからの道路は様相が一変し、路上には軍事色の濃い物が目立つ様になって来た。

写真を撮りたいところであるが、次の許可地点までは写真撮影は禁止になっている。

しばらく走ると再び検問があり、今度は座席の下や網棚に危険物等が無いかのチェック

が行われた。 更に少し走って国連軍キャンプの駐車場に到着、ここでバスを降り、青色

に塗られた、国連のバスに乗り換え、目的地を目指した。

Korea_0210065 Panmunjom24 Panmunjom05

到着後、国連軍の会議室に通されて、見学前のブリーフィングが始まった。

ここでは見学における注意事項のレクチャーを受けたが、それだけでは無く、この見学の

途中に如何なる事態が発生しても当局は関知しない、と言う文書に承諾のサインをしなく

てはいけない。 「おいおい」と思ったがココまで来たらもう一発サインしかない。

注意事項としては、①見学は2列に並び隊列を崩さずに行う事。 ②北の兵士を見ても指

をささない事。(拳銃と勘違いして狙撃して来る可能性があるからとの事)などなど。

ブリーフィングを終え、さあいよいよ共同警備区域の見学開始である。   (つづく)

   

2009年6月22日 (月)

韓国旅行回想記③

チャングムの誓いの撮影はMBCテーマパークだけではない。 ソウル市内の観光名所に

なっている「昌徳宮」や、ソウル郊外「水原」と言う所にある 「韓国民俗村」等の場所を利用

している。 紹介が後先になったが、テーマパーク見学の前日、我々は「昌徳宮」を訪れた。

Changdeokgung02 Changdeokgung07 Changdeokgung12 Changdeokgung16

ここは後半の医女編で、王様の主治医となったチャングムが、中宗王と一緒に王宮の庭を

散歩するシーンが撮影された場所で有名である。 私が昌徳宮で実際に見てみたかったの

は宮殿前の身分を表す標石である。  終盤に医療の手柄によって出世をし、王様から次々

に「冠位」を与えられるが、その冠位によって王宮の式典などの際、立ち位置が決まる。

その立ち位置を示す位の標石が宮殿の広場に並んでいる。

Changdeokgung34 Changdeokgung36 Changdeokgung22 Changdeokgung11 Changdeokgung13

数字が少ないほど位は高い。 同じ数字の場合は「正」の方が「従」より高位になる。

チャングムは女性では異例の「正三品」と言う位がドラマの中では与えられている。

その他にも、広い昌徳宮を色々と見て回ったが、やはり実際の宮殿の迫力には圧倒される

ものが多く、ここも訪れて良かったと思っている。

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2009年6月21日 (日)

韓国旅行回想記②

ドラマ出演者の気分になってMBCテーマパークの宮廷門をくぐった。

門を入ると、2千坪の敷地に、王様の食べ物を準備する水刺間(スラッカン)、大妃殿、退膳

間(テソンカン)、監獄舍、来賓客舍、司饔院などの建物が本物の王宮の様に軒を連ねる。 

ドラマの記憶が曖昧でも心配は無い。セット現場ごとに撮影時の写真とドラマの内容が書か

れた案内板があり、その記憶を蘇らせてくれる。 テーマパークを一周すれば、ドラマの中で

味わった感動の場面の数々を思い出して再確認して行く事が出来る。

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他にも、淑媛(スゴン)居所、書庫、内医院建物 、チャングムの台所、崔尚宮の台所、醬庫

後門、橋、小川 、金鷄飼育場など劇中で見たお馴染みの場所が次から次へ展開する。

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司饔院(サウンウォン)は王様と宮廷内の食べ物を担当していた官庁で、ここでは宴会の食

事を準備する場面、宮中に納品する物が運ばれて来る場面、料理作りの競演中にギョーザ

を作る場面などが撮影された場所である。 広場に行くと酒壷を積んだ車と小道具等が展示

されており、こちらでは宮中衣装で写真撮影が出来る。 我々も「尚宮」と「武官」の衣装を着

て、記念撮影をしたが、こちらは滑稽な写真になったので掲載はナシとしたい。

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ドラマで多く目にした水刺間(スラッカン)では、ご飯を炊いた釜、ふるい、網じゃくし、しゃもじ

壷、白磁の酒瓶、食器棚、麺を作る木、ひき臼、などがそのままの形で置かれていた。

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醬庫(ジャンゴ)は、宮廷内で使われる醤油や味噌を保管した場所で、近くに松の木が有る

か無いかで味噌の味が変わる事を発見をするシーンの撮影が行われた場所である。

その他、細かいところまで入れると、まだまだ想い出場面のセットは有るのだろうと思う。

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ドラマ放映以後、日本人観光客が立ち寄りたい観光スポットが「冬のソナタ」のロケ地だった

「春川」に代わって人気が高まり、ドラマを見た人々が好んで訪れる場所になった様だ。

次々に展開する懐かしいセットを廻り、夫婦共通の話題が膨らんだ一日であった。

  

2009年6月20日 (土)

韓国旅行回想記①

何年か前に「宮廷女官チャングムの誓い」と言う韓国歴史ドラマが日本で大ヒットした。

NHKの地上波と、BSとで何回も放映され、私もこのドラマに結構ハマった口であるが、家内

の方がもっとハマってしまいテーマパークにもなっている韓国MBC放送のオープンセットを

見学したいと言いだした。 当時はまだ見学ツアーも無かったので、航空機の手配からホテル

の予約など、全て個人でアテンドする旅になったが2005年の秋に2人で出掛けた。

ソウルの宿泊ベースは中心地「明洞」に決めた、物価は高いけれど色々な場所への移動や

買い物に便利な上、日本で5つ星ホテルを安く予約する事が出来たのでここに決めた。

ソウルの夜は賑やかだ。 夜店が長く並び、若い人達を中心に夜遅くまで活気に満ちていた。

Others01 Others03 Others05 Others06

ソウルの地下鉄1号線で「議政府北部」と言う駅まで向かう。 当時この駅は1号線の終点の

駅であったが、現在では更に先まで路線が延長され、駅名も「議政府」と改名されている。

この駅からテーマパークまではバスが運行されているが、当時は本数も少なくて、長い時間

待つ事になりそうなので、仕方なくタクシーを交渉する。 しかし、メーター料金で乗せてくれる

車は無く15分ぐらいの距離にもかかわらず、貸切で2万ウォンと言う。

当時のレートは現在の様な円高ウォン安でなかったので1万ウォンは1300円ぐらいだった

と記憶している。 いくつかのタクシーと交渉した結果、1万5千ウォンで行くと言うタクシーが

あったので、乗せて貰う事にした。 バスの来る時間が近づくと多分もう少し値下げするのだ

ろうと思う。 田舎道を抜け、小高い丘を通って、タクシーはテーマパークに到着した。

歓迎ゲートをくぐって、しばらく歩くと、ドラマで見慣れた王宮に続く宮廷門が目に入って来た。

不思議に何故かワクワクする。 やはりテレビで見慣れたモノが遠く離れた異国の地で現実

に目の前に有ると言う感激なのだろう。 家内の目も輝いているのが判った。 (つづく)

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2009年6月 9日 (火)

電解コンデンサーの交換

完成したシグナルトレーサーで故障した無線機を診断した結果、不良の電解コンデンサー

は複数である事が判明した。 そこで思い切って増幅回路の主要な電解コンデンサー全てを

交換する事にした。  今回不都合な箇所だけ修理出来たとしても、他のコンデンサーが不良

になって来るのも、時間の問題だと考えたからである。

結局、1枚目の画像のピンク色で示した電解コンデンサー10数個を交換する事にした。

Ft730r_01 Ft730r_02 Ft730r_03 Ft730r_05

先ずは受信基板を取り外す作業からスタートである。 その後、古いコンデンサーを1つずつ

取り外して新品に交換する作業を繰り返した。 この無線機は、両面基板の為に裏面だけで

無く、部品が並んでいる表面側の足もハンダ付けがされており、取り外しが大変であった。

取り外したコンデンサーを1個ずつ確認したが、液漏れの跡が見られたり、色が変わってい

て、正常でない事がすぐに判るモノが多かった。 やはり全部交換して正解だと思った。

結構時間は掛かったが交換作業は無事終了、基板を元の様に取り付け修理は完了した。

早速電源をつないで祈る気持ちでスイッチON、愛機は故障前とは違う綺麗なFMノイズを

発した。 別の機械からの電波を受信してみたが、音声は綺麗に増幅再生されている。

最後に送信回路の試験も行い電波が正常に出ている事を確認して、全ての作業を終えた。

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2009年6月 8日 (月)

簡易増幅器の製作②

プリント基板のハンダ付けが完了したら次は基板をセットするケースの加工である。

今回、加工するのに便利で少し格好の良いケースを選んだところ、費用的にケースが一番

高価なモノになってしまった。 先ずは内蔵スピーカーの音取り用の穴あけに入った。

テレビでよく見掛ける、拘置所の面会室内の仕切ガラスの様な綺麗な穴をあけたかったが

これが結構難しくて、若干穴と穴の間隔に差が出来てしまったが、まずまずの仕上がりだ。

Af_amp12 Af_amp13_2 Af_amp14 

次に基板の取り付け位置を決めて、前後のパネルにボリュームを通す穴、ジャック受け用

と電源端子取り付け用の穴をあければ完成である。

続いて、基板に信号の入出力と電源供給用のリード線を取り付け、ケースに本固定する。

あとは、ケースに取り付けた部品と基板からのリード線をハンダ付けして出来上がりだ。

Af_amp15 Af_amp16 Af_amp17 Af_amp18

最後に電圧の高い真空管式の機械のチェックも出来る様にプローブの内部に耐圧の高い

コンデンサーと、検波回路より前段の回路をチェックする時の為にゲルマニウムダイオード

を、それぞれ切り替えスイッチで選択出来る様に取り付けて終了した。   

実際の故障機をチェックしながら、半固定抵抗で増幅レベルの調整を行って完成である。

Af_amp21 Af_amp19 Amptest02 Af_amp20

2009年6月 7日 (日)

簡易増幅器の製作①

先日修理出来たと思っていた古い無線機が再び調子悪くなった。

電源を入れてしばらくすると、スピーカーから出る音が歪んで来るのである。

古い機械である事と、症状から見て音声増幅回路の電解コンデンサの不良と思われる。

長い間放置しておいた機械の故障のほとんどが電解コンデンサの容量抜けと言っても良い

ぐらい頻度か高い。 そこで再びシグナルトレーサーを用いて故障箇所の診断に入った。

しかし、以前から手持ちのシグナルトレーサーは簡単なモノで、信号をクリスタルイヤホンと

言う、旧来のイヤホンで聴いて判断するモノで、どこで歪みが発生しているか判断が難しい。

そこで、今回は1つ新しいシグナルトレーサーから製作してみようと思い立った次第である。

   

シグナルトレーサーと言うと、何か難しそうであるが、簡単に言えばアンプ(増幅器)である。

マイクやCDの信号を増幅し、音としてスピーカーを鳴らすまで増幅するのと同じモノだ。

シグナルトレーサーは、この増幅器にプローブと言って、テスターのリード端子の様に診断

する機械の必要部分に接触させ、信号を拾う為の器具を取り付けたモノである。

今回の企画として、① イヤホンだけでは無くスピーカーまで鳴らせる事。 ② マイク出力の

ような微弱レベルの信号も増幅出来る事。 この2点を目標にスタートした。

   

増幅器の製作に関しては、手持ちのパーツがあったので、久々にプリント基板のエッチング

から始めようかと思ったが、最近中国製のICアンプが100円ショップで買える時代に回路の

設計 → パターン書き → マスキング→ 塩化第二鉄を用いてのエッチング → 穴開け などの

手間を掛ける時間が無駄な気がして、結局は市販の基板キットを利用して進める事にした。

ちなみに100円の中国製ICアンプはS/N比が悪くて信号も増幅するがノイズの発生も多く

て、微妙な信号を判定するシグナルトレーサー用には不向きである事が解った。

China_amp

先ずは基板に部品の取り付けである。  市販キットは、部品の取り付け位置が一目で解るの

でとても楽である。 基板から自作などしないで良かったと改めて感じた。

実際、今回購入のキットはプリアンプとメインアンプとも100円玉の単位で買える安価なモノ

であり、基板から自作する手間を考えたら、更に安い価値換算のモノになるだろう。

メインアンプ、次にプリアンプの順にハンダ付けを行い、短時間で完成させた。

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2009年6月 4日 (木)

西国巡礼満願お礼参り③

御礼参り3 荒陵山(あらはかさん) 四天王寺

<本尊 : 救世観世音菩薩>

10月4日高野山から最終の目的地、四天王寺に向かった。

四天王寺は聖徳太子が建立した七大寺の一つとされている。 

日本仏教の最初の寺として既存仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場を貫いて

1949年に和宗総本山として独立をしているお寺である。

伽藍の配置は「四天王寺式伽藍配置」 といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂

講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つだ。

その源流は中国や朝鮮半島に見られ6~7世紀の大陸の様式を今日に伝える貴重な存在

とされている。  昭和20年の空襲で、中心伽藍をはじめ重要な建物のほとんどが消失して

現在の伽藍は、終戦後に再建された建物であるが、多くが重要文化財に指定されている。

Shitennoji01 Shitennoji02 Shitennoji03 Shitennouji

<エピローグ>

お礼参りの参拝を終え、これで本当の「満願」をむかえる事が出来た。

道中事故もなく無事にこの日を迎えられたのも、観音様のご加護だと有り難く思っている。

巡礼中、本尊に手を合わせている時の素直な気持ちが今でも思い出される。

この気持ちを忘れずに、毎日を過ごして行きたいと思ったが、俗世に戻るとついつい忘れて

しまうところは、まだまだ修行不足なのであろう。 これからの毎日を元気で過ごし無事定年

退職を迎える事が出来たら、今度は四国88ヶ所を再び家内と一緒に廻って見たい。

最後になったが西国巡礼寺で1枚ずつ頂いた33枚の散華は満願の地、華厳寺の門前町で

買い求めた台紙に貼り、写真の様に見事に我が家の有り難い宝物の1つになった。 (完)

Sange

2009年6月 3日 (水)

西国巡礼満願お礼参り②

御礼参り2 高野山 奥の院

10月4日高野山に来た。

高野山は遣唐使として唐へ渡った空海(弘法大師)が開いた真言密教の根本道場である。

町全体が山に囲まれていおり、国道24号線から高野山道路を登っていくと、大門に始まり

金剛峯寺を経て空海の眠る奥の院の御廟まで、道路の両側に多くの寺院が建ち並ぶ。

先ずは奥の院に参拝である。 高野山最大の聖域である奥の院は弘法大師の眠る場所で

ある。  多くの高僧、天皇、貴族であっても「死」と言う表現については、尊敬を込めた場合

でも、「お隠れになる」・「入滅」と言う様な言葉が用いられる。 

しかしながら、弘法大師の場合には「入定」(にゅうじょう)と言う大師だけに用いられる表現

が存在するのである。つまり弘法大師は即身仏として現在もなお奥の院におわす、とされる

真言独自の教えである。 奥の院に至る参道の脇には、多くの有名な戦国武将や著名人達

の墓石が立ち並び、さすがに高野山と言う立派な雰囲気をつくり上げていた。 

御廟でお大師様をお参りし、西国巡礼満願の報告とお礼をしたあと金剛峯寺へと向かった。

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高野山 金剛峯寺

<本尊 : 阿閦如来>

「金剛峯寺」という名称は弘法大師が「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっ

さいゆがゆぎきょう)」 と、言うお経より名付けられたと伝えられている。

高野山の場合、総本山金剛峯寺と言うと、高野山全体を指す。 普通、お寺といえば一つの

建造物を思い浮かべ、その敷地内を境内と言うが、高野山は「一山境内地」と称して高野山

の至る所がお寺の境内地であり、その中に点在する小寺を、塔頭寺院(たっちゅうじいん)と

言い、高野山全体を大寺(総本山金剛峰寺)と言うそうである。

都市から離れた山の上に、お寺を中心とした1つの大タウンを作り上げている事に驚いた。

高野山とは本当に不思議な空間であった。

Koyasan08 Koyasan09 Koyasan10 Kongoubuji