昔も今も同じだ
戦国の武将「明智光秀」を主人公にしたNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」も
そろそろ佳境に入って来た。例年なら12月に最終回を迎えるが、今年だけは
新型コロナの影響で撮影が中断したために、放送は来年の2月まで延長される。
これまでも大河ドラマではさまざまな武将が、スポットライトの当て方一つで
善人になったり、悪人になったりして来た。今回の主人公、明智光秀も同様で
これまでは主君の織田信長に謀反した悪人として描かれて来た。しかしながら
麒麟がくるや、多くの書物などから見られる主人公明智光秀は、どう考えても
主君に反旗を翻すような、愚かで思慮の浅い人物ではない、とオヤジはおもう。
この点については、歴史学者の磯田道史氏も、謀反の経緯については確固たる
資料がある訳でないので、としながらも頭の良さについては、当時の織田家の
中ではズバ抜けており、たとえ謀反が成功したとしても、秀吉や柴田勝家らを
敵として一戦交えることになるのは、容易に判断出来たハズだと言う。ただし
当時信長は、本能寺に泊まるようになる前は、京都に来ると光秀の屋敷に逗留
しており、しかも無防備であったという。このことから信長は、光秀に対して
全幅の信頼を寄せていたのと、逆に光秀からすればいつでもヤレる、と言った
気持ちがあったのではないかと言う事だ。本能寺の変については色々な人物の
陰謀説などもあり、推測の域を出ない。ただオヤジが想像するに、明智光秀は
秀吉のように、怖い信長と直接会話をせず、避けていた部分が多かったのでは
ないのか、と思う。直接対面せず、文書や人を介していると必ず誤解が生じる。
上司が怖いからと逃げてはダメだ。それは昔オヤジも経験し、反省したことだ。