輩にはならない
輩と書いて「やから」と読むが、オヤジにはどうもこいつがスッキリと来ない。
何故なら、あまり良い印象ではない言葉なのに先輩とか同輩、と言う使い方が
あるからだ。どうも漢字一文字とはニュアンスが異なるようで、辞書を引いて
みると元々は同じ仲間を表す言葉だそうだ。悪い意味としての言葉ではないと
言う。しかし、世の移り変わりでいつの間にか意味が変化して来た感じである。
そうは言ってもオヤジの中では一文字と熟語はいつまでも平行線で、最近特に
輩と言う言葉を使いたくなる連中に遭遇する機会が増えた。もともと徳島では
交通法規を守らない輩が多く、オヤジがストレスを溜めていたことはご存じの
通りだが、最近マンションの住民が良くない。エレベーターで遭って、大きな
声で挨拶をしても、知らぬ顔の半兵衛が多くなった。何故挨拶が出来ないのか
情けない。良い年をした大人がそうだから、子供に教育が出来なくて当たり前
で、更に情けない若者たちが増える事になる訳だ。大きな都会ならいざ知らず
こんな田舎街でマンションに住む人は、転勤族か、人と人との関わりを避けて
ヒッソリと暮らしたい輩のどちらかだ。そんなオヤジも訳ありで、マンション
の中では古株になってしまったが、輩と言われる人間にはなりたくないものだ。
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