私の無線室

  • 28. AT-230
    無線室改装しました。

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2008年10月

2008年10月21日 (火)

役に立ったハンドメイド品

中国から帰国して数日が過ぎた。

土日の休みもあったので、出来るだけ体を休ませる事にした。 年寄りの割には良く眠った。

帰国後にまた中国食品の問題を耳にした。 今度はインゲン豆との事。

中国で私はたくさんの野菜を食べた。 廻りの者は口を揃えて何とも無かったかと聞いて来る。

私は意外とその辺は気にならない。 何故なら中国のレストランは野菜にしろ魚にしろ肉にしろ

使用する食材を店先に並べて見せている店が多いのである。

それらの野菜を見たら虫食いだらけで、消毒薬を使用しているとはとても思えないのである。

私は逆に、有機肥料で育てた懐かしい素材の味が残る野菜と思って食しているのである。

生涯生活する訳でも無いのにそんな事を気にしていたら、とても中国になど出張は出来ない。

さて本題に入るが、今回の中国出張を前に私はホームセンターで材料を購入しアイデアを駆使

して小机の製作を行った。 用途は車内用のパソコン机である。

出張には報告書は付き物であるが、帰国後に書こうとすると、手帳のメモ書きが何の意味だか

解らなくなったりする事もある。 ホテルでは大量のメールと日次処理をしていたら時間が無い。

幸い車での移動時間は嫌と言うほどあるので、私はこの時間を利用して書く事にしている。

今までは、ノートパソコンを膝の上に置いて書いていたが、マウスを使用する事が出来ない。

出張し始めた頃の中国の道路は腸が飛び出して来るぐらい悪かったが、最近では高速道路も

充実し、慣れれば車内でも十分にパソコンが扱えるのである。

そこでシートに座って膝をまたぐ様な小机を作成したら能率的であろうと考えた次第である。

普通の机の様に4つ足にしたら揺れるだけだと考え、足は手前の2箇所にして、机の前部側は

前の座席の背もたれにベルト掛けし、吊った形で浮かせて使用する事にした。

更にメモ書き用のファィルを置ける様に、前の座席の後ろに本読み用ホルダを取り付けた。

小さいモノなので全て今回手荷物で持ち込んだが、これが大成功であった。

1番長く一緒に移動するパートナーの車に常設し使用した。 以前に車で100Vが使用出来る

インバーターも持ち込んで付けていたので、パソコンのバッテリーが無くなる心配もせずに安心

して使用出来る。 マウスを使う事も出来て、能率的なマイルーム風な車内となった。

ちょっとしたモノだが製作して持参して良かったと思っている。

これら道具一式はパートナーに保管して貰っており、出張の度に使用出来る 事になる。

仕事もちょっとした工夫で楽しく便利になるモノである。

Cardesk Holder1 Holder2 Cardesk2

  

2008年10月18日 (土)

秋の中国商務紀行⑫

昨日の夕刻、JAL786便は無事関西空港に到着した。

11泊12日の出張は、長いと思われたが、終わって見れば毎日が速かった様に感じる。

昨日はブログも書かずに寝床に着いたので最終日の様子は1日遅れになってしまった。

北京の朝は出発まで時間は十分にあったが、比較的早く目が覚めた。 天気は晴れである。

ホテルの窓からの景色はもう朝の渋滞が始まっていた。 いつからこんなになったのだろう?

少し遅めの朝食を取り、10時半(日本時間の11時半)にホテルをあとにし空港に向かった。

日本航空の出発はターミナル3である。 オリンピックの選手たちもこの空港を利用したのか

と思いつつ、チェックインし、シャトルで移動し、イミグレとセキュリティを順調に通過した。

今回は出発ゲート付近の喫茶店でビールを飲む時間もあり、ゆっくりと出発時間を待った。

飛行機への搭乗時間も予定通りで、定刻の出発を確信して機体のプッシュバックを待った。

しかしである、搭乗が完了しているのにクリアランス(出発許可)が取れないとのアナウンス。

結局定刻より30分遅れてのプッシュバックになってしまった。

タキシング(地上移動)を開始して飛行機は離陸滑走路のエンドまで進んだ、先行の出発機

は1機だけ、離陸専用の滑走路なので、着陸して来る飛行機も無い。 先行機が飛び立てば

次は我々の番である。 しかしここで我々は更に30分待たされる結果となったのである。

その間、後から来た出発機が我々の待つ誘導路の手前の進入路から次々に本滑走路へと

進入し、離陸して行くのである。 いったいどう言う事なのだろうか?

通常の管制は、クリアランスが終了した機の便名を記入したタグ板を順番に並べて行く。

管制官はこのタグ板の順番に飛行機を進めて行き、よほどのトラブル等が発生しない限りは

その順番を変更したりしないのである。 ましてや滑走路エンドまで来ている出発機を30分も

待たせたり、後から来た飛行機を先に離陸させたりする事は通常はあり得ないのである。

これらはまさに嫌がらせの何物でも無い。 日本イジメである。 非常に腹立たしく感じた。

春の帰国時も同じ目に遭っており、同じ様なブログを書いた記憶がある。

我々の仕事の相手はこの様な日本に対する感情を見せずに接してくれるが、彼らの心の中

は、これが本心なのかも知れないと思うと少し悲しくなる1時間遅れの離陸であった。

Beijing1 Beijing2 Beijing3 北京市内の朝の渋滞 

  

2008年10月16日 (木)

秋の中国商務紀行⑪

Moning

山東省の済南で美しい朝を向かえた。

朝食を取って済南から空路北京に向かった。 短いフライトであった。

到着後すぐに高速道路を片道2時間半ほど走って、河北省の保定市に着いた。

10月中旬の北京は少し寒いかと思ったが、どうしてどうして汗ばむ程の陽気である。

やはり地球は少し異常になっているのかも知れない。保定市で商談後、再び北京に返したが

今度は夕刻の北京市内で渋滞である。 帰りは3時間ほど掛けてようやくホテルに到着した。

2週間に渡る中国出張も予定通り日程を消化し、明日はいよいよ帰国である。

道中大きなトラブルも無く北京まで来る事が出来て今回も本当に良かったと思う。

仕事面でも情報面でもめまぐるしく変わって行く中国に対して色々な収穫を得て帰国出来る。

今回も有意義な旅であった。 あしたのホテル出発までゆっくり休む事にしたい。

と、行きたいところであるが、大都北京と言うのに今日のホテルのインターネットは、小刻みに

接続が途切れ、メール処理も日次処理も思う様に出来ないのである。(イライラ) 

接続状態の様子を見るために、四苦八苦しながら今日は先にブログを書いている。

このままではブログを書いた後も、遅くまで掛かって処理をしなくてはいけないかも知れない。

Pc

   

2008年10月15日 (水)

秋の中国商務紀行⑩

山東省の寿光から車で約2時間半ほど西に走って「済南」に到着した。

今回の出張も終盤を向かえたが、ここまではおかげで予定通りの業務が消化出来た。

中国出張でいつも驚くのは訪問先の工場から最寄りの駅や空港まで必ず迎えに来てくれる事

である。 たとえばそれが車で2~3時間走るぐらい離れていても来てくれるのである。

各工場には専属の運転手がいて、工場まで搬送して貰える。 業務が終了したら再び同じ道を

通って送ってくれる事もある。 私の会社で言えば、福井工場から大阪や名古屋あたりまでは

平気で送迎してくれる事になる訳である。 勿論、我々のパートナーの車で大半は廻るのだが

車では廻り切れないぐらい遠くに移動する時は、私も訪問工場からのお迎えのお世話になる。

国の大きさと交通事情の関係からその様になったのかも知れないが商売になるか、ならないか

まだ解らない相手に対しても行われる広い国の寛大な習慣であると私は思う。

      

2008年10月14日 (火)

秋の中国商務紀行⑨

浙江省の杭州から空路で山東省の青島に移動した。

夕方の便だったので、青島到着は18時(日本時間19時)頃になってしまった。

さらに青島から西へ高速道路を約2時間半掛けて同じ山東省の寿光と言う街まで来ている。

本日の夕食は日本時間で午後10時頃になってしまい、胃が少し驚いている様な感じである。

中国の車のマナーの悪いのは以前にも書いた事があるが中国人の運転の特徴のひとつが

前の車に追従して走るのは、道幅の関係などで追い越しが不可能な時だけであると言う事。

自分より遅い車は、必ずと言っていい程まくる(追い越す)のである。

日本では高速道路などで、前の車に付いてしばらく走る事がよくあるが、これが全く無い。

しかも、追い越し車線を遅い車が平然と走る事が多く渋滞に拍車を掛けている様である。

中国人が一番に取り組む改善マナーとしては何事においても「ならぶ」と言う事かも知れない。

  

2008年10月13日 (月)

秋の中国商務紀行⑧

今日は朝から高速道路を走りっぱなしの一日であった。

朝7時半(日本時間8時半)に江西省の九江のホテルを出発し、陶器で有名な景徳鎮を通って

浙江省の常山に入った。午後は常山から更に東に約300km走り、現在は杭州湾工業園区の

ホテルに宿泊している。今日だけで600kmは走ったであろうか。体は至って元気である。

今日は中国のホテルの部屋の話を書いてみたい。

先ず第1にトイレである。最近トイレも新しいモノが多くなり綺麗になって行くがウオッシュレット

の付いているトイレにはまだ中国では出会った事が無い、4つ星クラスのそこそこのホテルでも

ほとんど普及していない。 それと写真の様にトイレットペーパー用のホルダが必ずと言っても

良いほど用を足す時に座る背中側(後部)に取り付けられているのである。

これは、年とともに体が固くなっている者にとっては辛い朝の日課となる。

Toilet

次に電気のコンセントである。中国では日本のように電気のコンセントが1種類では無い為に

色々な差し込み口がある。 最近では日本のコンセントが差し込めるタイプも多くなって来たが

まだまだ田舎のホテルに宿泊すると日本から持参の変換プラグが必要なトコロも多い。

また、ホテルによってはベッド廻りにたくさんのスイッチが付いている事がある。

各所の照明やテレビなど、対応のスイッチを確認するのも、部屋に入った直ぐの重要な毎日の

日課になってしまっている。 使い慣れた日本のビジネスホテルが懐かしくなる瞬間である。

Ac1 Ac2 Ac3 Sw1

  

2008年10月12日 (日)

秋の中国商務紀行⑦

中国に来てアッという間に1週間が過ぎた。 今日は確か日曜日のハズである。

雨も上がって朝のホテル前の庭園の景色はとても綺麗であった。

Jikosanso1 Jikosanso2 Hubeiys2 Hubeiys1

しかしながら、今日も訪問する会社がある。中国人は休みでも本当によく働くものと感心する。

湖北省の黄石から江西省の九江と言う街に移動した。 途中の高速道路で送りと迎えの車が

出会って搬送をバトンタッチする予定であったが、迎えの車が高速道路の工事で約2時間近く

遅れた。  その間我々は「龍感湖」と言うインターを出た直ぐのガソリンスタンドで迎えの車を

待った。  2時間の間にこの近くの人の生活を色々と目の当たりにした。 のどかな街である。

畑には綿花が綿帽子を広げ、小さなどぶ川で釣りを楽しむ者、病院へ連れて行かれようとして

いる老人が、行きたくないと泣き叫ぶ姿や過積載のトラックの往来など色々な場面に遭遇した。

以前から気になっていたが、中国では電動スクーターが一般的になり、最近では自転車がなり

を潜めた感がある。 価格的には日本円で3万程度で購入出来るので、輸入原料のコンテナに

載せて日本に運んでやろうかと思った事もあるが、当然日本では原付扱いになってしまう。

知っている人に聞くと日本では形式承認が取れていないので個人が輸入してもナンバーを取得

するまでに色々と手間が掛かって、かなりの費用が発生する様である。

福井の工場内だけで乗り回すのはもったいないので、現在のところ購入は断念している。

ただ難点は電動で音もなく走行するので、歩行者が気が付きにくくて危ないかも知れない。

日本と中国では安全と言うコトに対する認識が色々な点でまだ大きな差がある様に感じる。

Inter Menka1 Kuruma1 Kuruma2 Dendou1

  

2008年10月11日 (土)

秋の中国商務紀行⑥

本日は宜昌から武漢の漢口まで鉄道で移動した。 4時間半の列車の旅である。

飛行機と違ってものすごい人の移動で、改札口はごったがえしていた。 やはり人口が違う。

幸い昼間の列車でも寝台車を取っていたので、レポートを書いたりしながら楽に移動できた。

現在は武漢の東南に位置する「黄石」と言うところの町に宿泊している。

Shindaisya 

今日は小雨が一日中降っていたために、道路では以前7月のブログで書いた「自行車雨衣」と

言う自転車用雨合羽を着ている人をよく見掛けた。 しかし最近その新種が出現しているのに

驚いた。 何と2人乗り用の合羽が出来ていたのである。 後ろに乗った者が二人羽織の様に

かぶって、フード付きの帽子の穴から顔を出す様になっているのである。

一瞬便利だなと思ったが、ドッコイ日本では2人乗りが許される訳もなく、おまけにイザと言う時

も、一緒になってしまって離れる事が出来ないので、2人同時にケガをしてしまう恐れがある。

思わず衝動買いをしてしまうところであった。 それにしてもさすが中国は凄い国である。

  

2008年10月10日 (金)

秋の中国商務紀行⑤

上海から武漢経由で湖北省の宜昌に来た。 今回の旅程で初めての雨に遭った。

武漢は歴史の街、宜昌は山峡下りの基点であり、飛行機では観光客が多く特に欧米人の姿が

目立った。 私も一度山峡下りがしてみたいが、出張ではまず時間は無いだろう!

湖北省は中国で2番目(1番は四川省)に辛い料理の地方らしく先回の訪問では口の中が火事

になったので、今回は辛くないレストランをリクエストした。 しかしながら一つの料理にわさびが

付いており、この「わさび」が異常に効いて、ひどい目に遭ってしまった。

日本ではこんなに効くわさびは食した事が無い。 一体どんな「わさび」なのであろうか?

唐辛子の料理はほとんど出なかったが、逆に日本の素材に泣かされるとは思わなかった。

本当にトコロ変われば何とかである。

  

2008年10月 9日 (木)

秋の中国商務紀行④

今日は南京から上海に移動した。明日の湖北省宜昌行きのフライトの都合で浦東空港の近く

に泊まっている。 昨日のブログで書いた途端本日のホテルのインターネットは不好(良くない)

である。 椅子がフロアマットの下のネットワークの元線を踏みつけて断線していた。

その結果、自分で電気屋さんまでやってどうにか接続にこぎ着けた次第である。

この分では工具まで必要になりそうである。 昨日は持参している機器の詳細は記さなかった

が、システム自体がダウンした時の事を考慮して、OSが入った予備の内蔵ハードディスクまで

用意して来ている。 皆さんが聞いたら笑うかも知れないが、私にとっては真剣である。

ノートパソコンがただの重たい箱にならぬ様、最大のバックアップである。

連日のつぶやきになったが、今の仕事からパソコンが消えたら思うと、本当に怖い気がする。