私の無線室

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2008年8月

2008年8月19日 (火)

幻の甲子園

高校野球の90回記念大会は大阪桐蔭高校の決勝戦圧勝で幕を閉じた。

結局、私のブログは高校野球の期間中マルマルお休みした事になる。 ブログの夏期休暇だ。

先のブログで父の甲子園での幻の優勝について書かせて頂いたが、この話には続きがある。

実は2年ほど前に、戦時中に徳島商業が幻の全国制覇をした事が漫画化され「少年マガジン」

に長編の読み切りで掲載される事になった。

この事で関係者が当時の取材に徳島に来られたが、その時出場レギュラーのほとんどが既に

お亡くなりになっており、残っていたのは父ともうひと方の二人であったそうである。

ところが、もうひと方は甲子園での練習中に腕を骨折されゲームには出られなかった為、実際

に試合をした選手では父だけと言う状況であった。

当然取材の中心は父に向けられるハズであったが、ちょうどその頃持病の不整脈が出ていた

時期であり、取材に興奮して病状が悪化してはいけないとの事から母が取材を断ってしまった

そうである。 結果、もう一人の方が取材を受ける事になり、出来上がった漫画は骨折り選手が

出場選手達を励ましながら進行していくモノになっていた。 

ところで私の父はどの様な形で登場したかと言うと、ただスコアボード上の名前だけであった。

まさに「幻の甲子園」である。                                                                                                            

                

2008年8月 3日 (日)

戦争の陰での栄光

今年も夏の甲子園がやって来た。 今年は90回の記念大会で例年より出場校も多い様だ。

実は私の親父は65年ほど前の夏の甲子園で優勝している。

しかしながら、歴代の優勝校の中にその名前は無い。 俗に言う「幻の優勝」なのである。

記録を見ると1942年~1945年は「第2次世界大戦のため中断」と記されている。

確かに戦争で中断した年もあった様であるが、親父の時は戦時色は濃くはなっていたものの

通常通り開催はされていた。  大会の主催が一時的に朝日新聞から文部省に変わった為に

現在の朝日新聞主催の大会の記録には載っていないのである。

優勝校の名前は「徳島商業高校」、先輩には池田高校を優勝に導いた蔦文也氏や後輩には

板東英二氏や最近では中日の川上憲伸投手などがいる。

親父が優勝した時は、平安中(現平安高校)と延長戦の死闘を制しての決勝であった様だが

その様な話しは、夏の甲子園の時期になっても、ほとんど表舞台には登場しないのである。

ただ、徳島県内ではそこそこ有名な話しであり以前は取材も受けた様であるが、結局は記録

にない記録はマイナーなモノである。 これも戦争による悲劇の1つではないだろうか?