私の無線室

  • 28. AT-230
    無線室改装しました。

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2020年8月

2020年8月21日 (金)

人の名前は大切

国のトップが今のお方になってから、良きにつけ悪しきにつけオヤジの周りに

様々な変化があった。最近では「XXが」や「XXさんが」と言った、あまり

良い意味での呼び方をしなくなったため、名前を耳にするたびにチョッとだけ

ドキッとする事が増えた。年賀状を始めとする様々なオヤジ宛の名前の多くに

誤字が見受けられる様になったのも事実だ。それでなくても一般的な漢字では

なく比較的頻度が少ない漢字なので猶更だ。特に最近ではパソコンやワープロ

の使用が多くなり一度変換した名前の文字をマシンか記憶しているため、次に

打ち出した時に、直近で使った文字が出て来てしまって余計に間違い安いのだ。

オヤジの場合は、自分宛の名前を間違えられても目クジラを立てるほど気分を

害する事はないが、かつてオヤジが担当したお得意様に、大変な方がおいでた。

それはオヤジがサラリーマン1年生の時だった。ある樹脂加工会社の購買部長

に「大田」さんと言われる方がいたが、初対面の名刺交換で必ず、私の大田の

大には点がありませんので、と仰る。つまり「太」ではない、と言われるのだ。

その後、仕事上の文書などでこの注意を疎かにして、漢字を間違う様なことが

あると、その担当者をそれだけの人物であると評価するそうで、以降の取引に

影響があった事例を代理店の担当者から聞いた。要するにそれほど人の名前は

重要だと言う事で、仕事とはそれほど神経を張り巡らせて行う必要があるのだ。

それ以降オヤジはこれを実践して来た。わたなべさんの「辺」や「邊」などは

本当に神経を使ったが、ここでも会社勤めの最初に重要な事を教えてもらった。

名刺や写真は、その人物の分身である、と言う教えは古い世代の考え方になり

つつあるが、いくら時代は変わっても、基本の精神だけは変わって欲しくない。

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2020年8月20日 (木)

古いお話しだが

新型コロナ禍、夫婦で懐かしい話しをする機会が増えた。そんなオヤジが家内

からチクリと言われたのが、結婚半年ほどオヤジに借金があったことだ。勿論

サラ金などにではなく、ローンの支払いだったが、当時にしてみれば毎月そこ

そこの金額だった。それは、結婚する1年半ぐらい前に買ったオーディオ製品

の支払いだった。何しろ独身天国で買った「コンポ」と言うヤツで、凝り性の

オヤジが、当時店頭戦略だったアンプやスピーカーを切り替えて聞き比べる事

が出来るシステムで気に入って買って来たモノだった。当時のお金で、利息も

入れて60万円ほどのローンだったと記憶している。今は無き、山水電気製の

プリメインアンプAU-7700を始めとし、ビクターのレコードプレイヤー

JLB-31、TEAC社のカセットテープやソニーのチューナーなどだった

が、一番高価だったのは、アメリカJBL社のスピーカーL-26ディケイド

だった。当時色々なスピーカーに切り替えて聞いてみても、このスピーカーに

勝るものは無く、正直これしか無かったと言っても良い製品だった。残念にも

度重なる引っ越しと、経年変化のためにスピーカーコーンを支えるスポンジが

破れ修理にはかなりの費用が掛かる事や、アンプなどにも修理が必要となった

こともあり、段々と我が家から消えて行った。ただ縁あって、大切に保管して

いたビクターのレコードプレイヤーJLB-31だけは、このブログご愛読者

でもあるオーディオマニアの先輩のお宅で今も大事に使っていただき、繊細な

レコード音を奏でてくれているそうでオヤジにとっては実に嬉しい限りである。

こんな想い出ならば、まだまだ出て来そうだ。また機会があれば書いてみたい。

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2020年8月19日 (水)

愛車に眼帯する

猛烈な暑さと紫外線吸収剤が効かないのではないか、と思うほどの太陽光線の

エネルギー照射に、ふと我が愛車が可哀想になった。特に乗らないまま炎天下

に放置しておくのは忍びない。最近はソーラーパネルを利用してバッテリーの

補足充電を行っている。こちらの方は連日十分な発電をして貰っているのだが

その分車にも紫外線は容赦なく降り注ぐだろう。我が愛車は軽自動車と言えど

塗料に添加されている紫外線吸収剤の量は多いと聞いているが、やはり心配で

特にヘッドライトが気になる。ヘッドライトは外からの太陽光と、内側からの

ランプの紫外線の両方を浴びるため、紫外線吸収剤の添加量が少ないライトは

すぐに黄変する。最近はランプがLEDに替わって、内側からの黄変は少なく

なったが、やはり外側からの紫外線にヤラレてしまう。そのため北向きに駐車

するのと南向きに駐車するのとでは、年数で結構な差が出る。オヤジの愛車も

最近までは北向きに駐車していたが、充電のために南向きに変えた。これまで

以上に焼けは覚悟だ。そこで思いついたのが、マスクならぬ「アベノ眼帯」だ。

早速、100円ショップでギンギン袋と吸盤を買って来た。ギンギン袋の要所

にハト目を打ち、吸盤を取り付けた。あとは吸盤をヘッドライトに着けるだけ。

直ぐに取れて来ることを心配したが、1日おいてもしっかりと固定されている。

気休めかも知れないが、これでポリカーボネートのお目目も少しは安心である。

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2020年8月18日 (火)

虚しいだけの夏

コロナ禍の盆は、猛烈な暑さだけを置き去りにしてアッと言う間に過ぎ去った。

正直、何の楽しみも無い盆休みだった。一体何をしたのかと振り返ってみると

結局のところ墓参りと、食料品調達の買い物に行っただけだ。美味しいものを

食べに行くことも無く、ウインドウショッピングに出掛けることも無かった。

それでなくても1日が異常に早く過ぎ去るようになった今、このロスは極めて

大きい。年齢的にも状況的にも「来年またね!」などと簡単には言えないのだ。

何より、可愛い孫たちの姿はいつも「今」しかない。いつも旬なのだ。連日の

ように送られて来るスナップ写真と、時折小さな携帯の画面を見つめて話しを

するLINE電話が小さな喜びである。本当にこんな夏を誰が予想しただろう。

外に出れば、これまで経験した事の無い倒れそうなほどの暑さだ。まだ元気だ

と思っていたが、息をすると苦しくなるほどの暑さは、これまではサウナの中

でしか経験が無い。以前までの時間に散歩に出ると必ず倒れるだろう。こんな

暑さがコロナウィルスを死滅させてくれるのなら辛抱も出来るが、こちらの方

は相変わらず衰えを知らない。徳島はここに来て急に感染者が増えた。最初の

頃は四国の中でも一番少なかったが、最近他の3県が下火になって来たなかで

徳島だけ燻っている。他県の車に石を投げたりする県に限り、得てしてこんな

風になるモノだ。ソレ見た事か、と言われても仕方が無いが、オヤジは虚しい。

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2020年8月17日 (月)

平和の考えかた

戦後75回目の戦没者慰霊式典で、総理が口にした言葉が気になる。これまで

様々な人から同じ言葉を聞いたが「今の平和は戦争で亡くなった多くの人たち

の犠牲の上に成り立っている」という言い方だ。確かに心情的にはそうであり

間違った表現ではないが、オヤジにはこれは戦争を引き起こした当事者で無い

にしろ「国家」を代表する立場の者が発する言葉では無いような気がしている。

何故なら戦争を肯定し、戦争を進めて行った者だけが犠牲になったのではなく

戦争を否定し、生きたくても生きられなかった多くの人々を犠牲にしたからだ。

つまりこれら多くの犠牲者は、国家の考え方一つで作ることは無かったハズだ。

予測不能だった災害などによる犠牲者とは性質が違い、当時の政権が作り上げ

た悲劇をよそ事にしてはいけない気がする。屁理屈なようだが、75年の平和

を引き継ぐ政権としては、それだけのケジメを持って欲しい。戦争を放棄して

これだけ長い平和を維持した国は他に例を見ないが、人々は豊かな生活と同時

に「平和ボケ」と言う負の部分を身に着けてしまったことは否めない。新しい

恐怖である新型コロナウィルスが経済を破綻させ、豊かさも奪おうとしている。

悲劇は、世界が不況になったりバランスが崩れた時に起きる。今世界が大きく

変わりつつある時、本当の平和の在り方を考え、多くの人々の犠牲の上になり

たった反省とはどのようなモノかの真価が問われる事になる。戦争を知らない

世代が85%を占める日本、単にボケだけが残ってしまう結果だけは避けたい。

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2020年8月16日 (日)

根本の問題とは

新型コロナ禍の日本列島が、太平洋高気圧の勢力で熱せられ、異常なる高温に

なっている。オヤジたちが子供の頃「夏休みの友」に書いた気温は、高くても

32℃ぐらいだった。当時はこれを猛暑・酷暑と表現し、異常気象だと騒いだ。

よくよく考えて見れば当たり前のことで、人々はこの気温の変化を代償として

豊かさを手に入れただけだ。分かり易く言えば、当時家にはクーラーなど無く

団扇や扇風機で過ごした。当然、冷蔵庫は氷を入れるスタイルのモノで、背面

からの排熱も無い。道路の多くはデコボコ道で、雨が降るたびヌカルミになり

庭や街のあちこちに多く茂った草木は、時として鳥や害虫に悩まされる原因に

なった。池や河川も今とは比べ物にならないくらい広く、住宅地では木造家屋

がほとんどで、鉄筋の家などはまだ少なかった。これでは夏の気温が38℃に

なる事はないだろう。高温化の一番は、クーラーの排熱と、道路や建屋からの

照り返しだろう。熱交換で、家の中が涼しくなった分、外が暑くなっただけだ。

これは計算して見れば簡単だ。仮に家の中の温度を26℃、屋外を38℃だと

すると平均気温は、オヤジが子供の頃の夏の気温になる。要するに涼しい部分

が増えた分、より暑くなった部分も増えただけの話しだ。ただ、温まった空気

は上昇するハズだが、この暖かい空気が逃げて行かない環境には問題がのこる。

豊かな生活には犠牲が伴うことも多いが、この根本の課題だけは無視できない。

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2020年8月15日 (土)

虚空の盆に想う

今年も終戦記念日を迎えた。本来なら徳島市の阿波踊りは最終日を迎え、今晩

フィナーレの「総踊り」が行なわれるハズだった。阿波踊りと、鳴門の渦潮を

取ってしまうと何も残らない我がふるさと徳島のお盆は、うだる様な夏の暑さ

だけを人出が増えなかった街に残して終えようとしている。例年なら、長蛇の

列を作り、駐車場に入るだけでも気が遠くなるほど時間が掛かっていた百貨店

の「そごう」も僅か5分ほどで容易に駐車できた。ひょうたん島のクルーズ船

は臨時便が出ることも無く、何よりこの時期街に設置されているハズの演舞場

の桟敷や、提灯の姿が無いのが異様に映る。これまで阿波踊りの期間、台風や

雨で4日間フルに開催できなかった事はあったが、桟敷の設置が無いまま全て

中止されたのは初めての事だ。今年、こんな夏になるのを誰が予想しただろう。

やはりこの事一つとっても徳島は大打撃を受けただろうと思う。例年市の人口

20万人足らずの街が4日間で120万人の人出になるのだから、このことは

容易に計算できるだろう。何も無かった今年の「阿波踊り」ローカルテレビは

オヤジが子供の頃から昨年までの懐かしい映像を、4日間アーカイブスで流し

続けた。既に故人となった懐かしい顔や踊りが登場し、各時代の様子はオヤジ

にも、この頃は福井に居たとか、大阪に来た頃だとか様々な思い出を蘇らせて

くれたが「虚空」の4日間は、娘や孫たちも居ない、ただ寂しい旧盆となった。

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2020年8月14日 (金)

極端から極端へ

広島と長崎に原爆が落ちるまで止めなかった、不幸な戦争から75年が過ぎた。

今年もまた終戦記念日を迎えようとしている日本だが、我国はこの不幸な戦に

何を学んだのだろうか、高齢化社会が進んで、悲劇の語り部たちが段々少なく

なって行っている中、戦争を知らない世代の役割りと言うモノを考えてしまう。

もちろん実体験が無い者に、真実を伝える役目は難しいが、少なくても悲劇を

再び繰り返さないための舵取りは出来るバスだ。しかしながら、生きたかった

多くの人々の犠牲の下に生まれた平和は、75年と言う年月を経て平和ボケと

いう人種を作ったのは紛れもない事実だ。多くの制止を無視し続けた侵略戦争

と現在の平和ボケ、どうしてこんな極端な日本に変ってしまったのだろうか?

もちろん憲法9条にある、国際紛争解決のために戦争と言う手段は、いかなる

理由があっても用いることを永久に放棄する、という点は遵守する必要がある。

しかし、それは他国も日本と同じ考え方を持つ場合においてであり、一方的な

攻撃や侵略を受けた場合でも一切何もせず、されるがままでいろ、と言うのは

少し違う。実際に竹島や尖閣諸島が、段々と日本から離れて行く感じの様子を

見るのは忍びない。武力で阻止せよとは言わないが、自分の国は自分で守ると

いう姿勢を見せて欲しいように思う。飛んで来るミサイルを迎撃するイージス

アショアの装備をご破算にし、相手国をも攻撃できる装備の検討に入っている

と言う。男が政治を行うと直ぐ戦争につながるが、あの無茶苦茶だった日本と

今の腰抜けの外交、ちょうどよい落としどころと言うモノは無いのだろうか?

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2020年8月13日 (木)

考え方で生きる

新型コロナウィルスとの戦いが始まってから半年以上が過ぎた。貴重な一年の

半分を失い、更にこの先どのくらいの期間戦い続けて行くかは不透明であるが

これまでの期間、本当に戦い続けた者たちと、ただ単に何もしないで流された

だけの者たちでは大きな差が生じた事は否めない。ここでオヤジが言う戦いと

は、対コロナウイルスだけでなく、この先長い付き合いを強いられるかも知れ

ないWithコロナに対しての備えだ。これは個人もそうだが企業や組織など

幅広い分野に渡ってのことで、新しいサラリーマンの在り方、新しい医療関係

や、公共施設の在り方、新しい飲み屋や食堂の在り方などが、その一例である。

もっとも、全てにおいてこの新しいスタイルが適応できるかどうかは疑問だが

頭を使い手を打って来たところと、そうでないところでは既に大きな差が出て

来ているのは明らかだ。これから先人々は、この対策が出来ている施設や企業

そしてお店などを選ぶようになるだろう。ここで何もしない、またしなかった

企業やお店は大きく退くことになるが、これが「企業力」の違いによる部分だ。

もちろん、それだけでなく資金力の差がある事も事実だが、要は「努力度」だ。

すなわち、生き延びて行くところはそれなりの努力をしている訳で、政府から

の、雀の涙ほどの援助金ではお店を閉めるしかない、とボヤいている様な店に

限って、アルコール消毒液やアクリル板などの設置が無いばかりでなく、3密

を避ける机の配置さえされていない店が多い。このへんが物語っているようだ。

個人商店の主も、企業のトップも同じ経営者だ。残酷な様だが、どんな場合も

生き延びる会社とそうでない会社は、それなりの明確な理由が存在するようだ。

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2020年8月12日 (水)

青酸化合物雑談

先日、青酸カリの話しを述べたが今日はこれについて少し専門的に書いてみる。

現在は実験室の戸棚の中だけで、工業的にはほとんどが青酸ソーダ、と言った

方が正しい青酸カリだが、推理小説の中では、まだ根強い知名度を保っている。

青酸ソーダの主な用途は、メッキの材料や、焼き入れなどの冶金業用途が多い。

シアン基にカリウムが付こうが、ナトリウムが付こうが、共に強毒を示す薬品

で、その致死量は成人の場合200mg~300mgとほぼ耳かき一杯ほどだ。

そこで青酸ソーダを使用する工場の作業員の中には、ごく微量を舌先で舐めて

薬品の「ヘタリ」具合を調べる者もいて、初めて見たオヤジは驚いたモノだ。

水溶液はアルカリ性で、経口するとおよそ1分から1分半ぐらいで呼吸が出来

なくなり窒息死するとされている。理屈は、シアン基が血液中のヘモグロビン

鉄と反応し呼吸を阻害するからだ。つまり毒物が胃酸などの酸に触れると青酸

ガスを発生する事に起因する。そこで、サスペンスドラマなどでよく見かける

口からアーモンド臭やオレンジ臭がしますね、などと言うのは、とても危険な

ことで、嗅いだ途端に本人がイッテしまう事も十分考えられる。ドラマなどと

いうモノはいい加減なモノで、毒劇物管理の面からは決して許されない行為だ。

いわんや、人工呼吸などは禁止事項だ。青酸中毒になると身体は一酸化炭素の

中毒同様に顔面は紅潮し、死斑が赤くなるのも特徴だ。誤飲した場合の応急の

処置としては亜硝酸アミルや亜硝酸ソーダ、チオ硫酸ソーダなどが用いられる。

特に、亜硝酸アミルは気化し易いため、その蒸気を嗅がせると効果がある様だ。

いずれにしろ毒物の代名詞ともなっている薬品、一生お世話にはなりたくない。

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