古看板とエピソード
うだつの街で古いホーローの看板を見つけた。 地元企業の懐かしい看板であるが、最近
では見掛ける事がめっきり少なくなった様に思われる。
しかしながら、この看板に少しでも携わった事のある者達からすれば、良きにつけ悪しきに
つけ非常に思い出深い看板なのである。
米国オロナイト社からグルコン酸クロルヘキシジンを主成分とする殺菌消毒剤が田舎企業
に持ち込まれた。 面白い薬品であったがどの様に使うか当初は全く判らなかったと言う。
試行錯誤を繰り返した末に、創設者のアイデアで軟膏の形にして1953年に発売されたの
が「オロナイン軟膏」である。 後にヘキシジンのHを取って「オロナインH軟膏」と改名。
これと言った特効薬ではないが、常備薬の王様になった陰には様々な苦労話がある。
先ずは鳴門の田舎製薬会社の名前を覚えて貰う事が第1であった。
年輩の方なら覚えておられると思うが、当時の人気漫才コンビ「中田ダイマル・ラケット」に
よるラジオの公開番組「お笑い街頭録音」で、面白い事を言った者に「この人にオロナイン
軟膏3つあげて頂戴!」と言って景品にする様な事からジミチな宣伝が始まったのである。
また、ダイマル・ラケット両氏による「聞いてみてみ!付けてみてみ!」と、言うコマーシャル
も、知る人ぞ知る当時にしては面白い宣伝の1つであった。
その後「浪花千栄子」さんを宣伝キャラクターに抜てきし、売り上げを伸ばして行った。
しかし、何故「浪花千栄子」さんを宣伝キャラクターに選出したか、皆さんご存じだろうか?
それは彼女の本名が「南口キクノ(軟膏効くの)」さんだったから、と言うのが正解である。
このあたりも、創設者の泥臭く、またユニークな一面だと聞いている。
しかしながら、毎週土曜日これらの看板を2人1組で2ケース(30枚)を社用車に積み込み
打ち終える迄は帰ってくるな!と言う仕事が実際にあった事はあまり知られていない。
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